Fine Wind, Clear Morning (Red Fuji) by Katsushika Hokusai, 1831

凱風快晴 – もともとは赤くなかったかもしれない

この絵は、もともと赤くなかった可能性があります。同じ版木から摺られた初期の摺りのなかに、はるかに柔らかい色調のものがあり、収集家はこれを「ピンク富士」と呼びます。浮世絵研究者ロジャー・キーズは、このピンクの摺りこそ最も早い時期のものであり、北斎が当初意図した色だと考えています。私たちが知る強烈な赤は、のちに安価な顔料で摺り直された結果かもしれません。

基本情報

  • 画: 葛飾北斎(1760~1849)
  • 題名: 凱風快晴。「凱風」は初夏の穏やかな南風を指します。「赤富士」は通称です
  • 刊行: 1830~31年頃(大英博物館は1831年後半と推定)
  • 署名: 北斎改為一筆
  • 技法: 木版多色摺、大判横絵 約25.8 × 36.4 cm
  • シリーズ: 『冨嶽三十六景』。当初36図の企画でしたが好評により10図が追加され、全46図となりました
  • 芸術運動: 浮世絵
  • 所蔵: 木版画のため所蔵先は一か所ではありません。メトロポリタン美術館、大英博物館、シカゴ美術館、パリのギメ美術館、プリンストン大学美術館、そして国内ではMOA美術館(熱海)などが摺りを所蔵しています

どの摺りを見ているのか

この作品についてまず知っておくべきことは、摺りによって色が大きく異なるという事実です。

初期の摺り(ピンク富士)。きわめて稀少です。空の青が意図的に均一でなく摺られており、画面が明るく見え、雲に動きが生まれます。山頂の周囲にはプルシアンブルーの暈がめぐらされ、峰が前に出ます。全体に色が抑えられ、より高価な顔料が使われています。

後期の摺り(赤富士)。今日私たちが知るあの絵です。空は均一で濃い青に変わり、摺師は版木をもう一枚起こして、水平線上の白い雲に淡い青を重ね摺りしました。山には弁柄という強い赤色顔料が用いられ、この絵の通称はここから来ています。緑の版も彫り直され、森と山肌の接する線が下げられました。

さらに別の異版。色構成がまったく違う摺りもあります。雲が画面上部にかろうじて見える程度で、空はほぼ平坦な淡い青、上部に細い灰色の帯が走り、水平線に沿ってプルシアンブルーが山肌まで上がってきます。

つまりこの作品に定本はありません。図版を見るたびに色の印象が違ったとすれば、それは錯覚ではありません。同じ作品がいくつも存在するとき、私たちは何を「本物」と呼ぶのか——この問いについては、あなたが見ているのは、どの版?——複数存在する名画たちで詳しく取り上げています。

2019年、科学が順番を決めた

ピンク富士が本当に先なのか。キーズの見立ては長く鑑定家の目に頼ったものでしたが、2019年、大英博物館の研究チームがこれを科学的に検証しました。

研究者カプシーヌ・コレンバーグらは、同じ版木から摺られた赤富士とピンク富士を、高解像度写真による線の比較と、作品を傷つけない顔料分析の両面から調べました。結果は明快でした。赤富士のほうが版木の摩耗の跡が多く、ピンク富士では色材の選び方と摺り方にはるかに多くの配慮が払われていたのです。ピンク富士には当時高価だった黄色顔料・石黄が多く使われ、山肌の緑から山頂の焦げ茶へと移る色も、大量生産には向かない手間のかかる方法で摺られていました。

研究チームの結論は、ピンク富士は赤富士より先に摺られ、初版である可能性が高い、というものです。この研究は、摺りの順番を科学的に判定する方法として、ほかの浮世絵にも応用できるとされています。鑑定家の目が科学で裏づけられ、名作の「本来の姿」が見直された例は、教科書が印刷された後に判明した、名画についての新発見でも紹介しています。

この作品が忘れられない理由

画面にあるのは山と空と雲、そして裾野の森だけです。『冨嶽三十六景』のなかで、人の姿がまったく描かれていないのはこの一図だけです。浮世絵全体のなかでも最も単純な構成の一つです。

ところが逆説的に、このシリーズのなかで最も気象条件が具体的な作品でもあります。富士が赤く染まる現象は、晩夏から初秋、雪が消えて火山岩が露出した時期に、低い朝日が斜面に当たったときだけ短時間現れます。題名が示す「南風、快晴」という条件が揃って初めて見えるものです。空に散る小さな雲は、秋の空に現れる高い「いわし雲」で、魚の群れのようにゆっくりと北へ流れていきます。抽象に近い画面が、特定の気象を指し示しているわけです。

山と空はそれぞれ三つの色調で構成され、その二つはほぼ互いの反転になっています。この対比が画面全体を支配します。

色を作った人

山の色は裾野の緑から赤橙を経て山頂の褐色へと移ります。このグラデーションは版木に彫られたものではありません。ぼかしと呼ばれる技法で、水を含ませた版木の上に摺師が手で墨や絵具を擦り込み、濃淡を作ります。摺るたびに人の手が介在しますから、同じ絵が二枚と出ません。

浮世絵は分業の産物です。絵師が下絵を描き、彫師が版を彫り、摺師が摺り、版元が出版します。色を決めるのは通常、絵師の仕事ではありませんでした。ただしシカゴ美術館は、このシリーズに関しては北斎が色の使用に関与しただろうと見ています。大英博物館も、空の青をわざとむらに摺ったのは、絵師と版元の指示によるものに違いないとしています。

歴史的背景

1830年代初頭の江戸は都市文化が成熟し、木版印刷の技術は頂点にありました。旅の規制がゆるみ、庶民のあいだで旅行や富士講の参詣が盛んになったことも、富士を描いたこのシリーズの人気を支えました。

このシリーズを特徴づけるのは青です。オランダや中国の貿易を通じて新たに入ってきたプルシアンブルーを、日本ではベロ藍と呼びました。ベルリンから来た藍という意味です。従来の植物性の藍と違い、この顔料は鮮明で褪色しにくいものでした。シリーズ当初の36図の初期の摺りでは、輪郭線まで藍で摺られていたほどです。この色がなければ、このシリーズは成立しませんでした。

北斎はオランダ貿易を通じて入ってきた少数の西洋版画と絵画を研究し、その遠近法を自分の画面に取り込んでいます。

葛飾北斎について

北斎(1760~1849)は江戸に生まれ、九十年近い生涯で三万点を超える作品を残しました。名前は三十回以上変え、転居は九十三回に及んだと伝えられます。

この絵に記された署名は「北斎改為一筆」です。北斎から為一に名を改めたという表示であり、彼の改名は単なる気まぐれではなく、画風の転換を告げる合図でした。

『冨嶽三十六景』に着手したとき、彼は七十歳を越えていました。代表作の大半は七十歳以降に生まれています。

遺産と影響

同じシリーズの『神奈川沖浪裏』とともに、この作品は世界でもっとも広く知られた日本美術です。美術市場での評価も高く、2019年3月にはニューヨークのオークションで一枚が50万7,000ドルで落札されています。

19世紀後半にヨーロッパへ渡ってジャポニスムの中核となりました。ファン・ゴッホは日本の版画を数百点収集しており、その影響は『アーモンドの花』の平面的な色面と切れていく構図にそのまま現れています。

同時代の広重の『大はしあたけの夕立』と並べると、二人が風景で何を極限まで推し進めたかが見えます。広重は瞬間と天候を、北斎は形態と構造を選びました。

影響は印象派にとどまりません。ミュンヘンの青騎士、とりわけカンディンスキーも日本の版画から刺激を受けています。形を極限まで単純化し、色面だけで画面を成立させるこの方法は、20世紀の抽象へ向かう道筋の途中にあります。

日本では?

ピンク富士は、日本でも見ることができます。大英博物館の作品解説は、熱海のMOA美術館が所蔵する初期の摺りについて、山肌がピンクがかり、空がごく淡い青で、雲のあいだにぼかしの階調がある、と記しています。世界でもまれな初期の摺りが、富士山からほど近い静岡県の美術館にあるわけです。展示は時期が限られるため、訪問前に同館の公式サイトでご確認ください。

そして2013年、富士山は「富士山——信仰の対象と芸術の源泉」としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。山そのものの自然だけでなく、北斎の『冨嶽三十六景』をはじめとする数多くの芸術を生み出した源であることが、登録の理由の一つに挙げられています。この一枚は、富士山を「芸術の源泉」にした作品の筆頭と言えます。

作品が見られる場所

木版画ですから複数の美術館に摺りがあります。メトロポリタン、大英博物館、シカゴ美術館、パリのギメ美術館、プリンストン大学美術館、サンフランシスコ美術館などです。日本国内でも各地の館が所蔵しています。

ただし紙の作品は光に弱く、常設展示されません。特定の美術館を目的に行かれる場合は、必ず事前に公式サイトで展示の有無をご確認ください。

東京のすみだ北斎美術館は、北斎が生涯の大半を過ごした墨田区にあります。原本の展示は企画に応じて変わりますが、常設展示室では高精細複製と北斎の生涯に関する展示が通年で見られます。

そしてこの作品に関するかぎり、オンラインでの比較が実物鑑賞に劣らず有用です。各機関が公開している高解像度画像を並べると、ピンク富士と赤富士の違い、空の均一さと不均一さ、森と山肌が接する線の位置が見えてきます。同じ版木から出た絵がどれほど違いうるかを確認するには、こちらのほうが適しています。

この絵の前で最後まで残るのは、赤ではなく不確かさです。私たちはこの山が本来どんな色だったのかを確実には知りません。世界でもっとも有名な山の絵であり、色がそのまま通称になった絵でありながら、そうなのです。

画像: 『冨嶽三十六景』凱風快晴 – 葛飾北斎、1830~31年頃。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.

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