The Arnolfini Portrait by Jan van Eyck, 1434

アルノルフィーニ夫妻の肖像

この絵は長いあいだ、結婚の場面だと信じられてきました。ところが1990年代、古文書の発見によって前提が崩れます。伝統的に描かれていると考えられてきた夫婦が結婚したのは1447年、絵の日付の13年後で、画家はすでに世を去っていました。現在、モデルと考えられているのは別のアルノルフィーニです。そして彼の最初の妻は、絵に記された1434年より前、1433年2月までに亡くなっていたことがわかっています。私たちが見ているのは結婚の記念ではなく、亡き妻の記憶なのかもしれません。

基本情報

描かれているのは誰か

19世紀以来、この絵のモデルは、ルッカ出身の商人ジョヴァンニ・ディ・アリーゴ・アルノルフィーニと、その妻ジョヴァンナ・チェナーミだとされてきました。1861年から1990年代まで、ほぼ定説だったのです。

それを覆したのは、フランスの歴史家ジャック・パヴィオでした。彼はブルゴーニュ公の会計記録のなかに、公が1447年、「ジャン・アルノルファン」の結婚祝いに銀の壺を二つ贈ったという記録を見つけます。この二人が結婚したのは、絵の日付の13年後、ファン・エイクが亡くなって6年後だったのです。

そこで有力になったのが、彼の従兄弟ジョヴァンニ・ディ・ニコラーオ・アルノルフィーニです。1419年頃からブルッヘに住んでいた商人で、ファン・エイクはベルリン国立絵画館にある別の肖像画でも彼を描いています。ナショナル・ギャラリーの研究者ローン・キャンベルは、1998年の所蔵品目録でこの人物を最有力の注文主としました。

ところが、ここで新たな謎が生まれます。ジョヴァンニ・ディ・ニコラーオの最初の妻コスタンツァ・トレンタは、1433年2月26日付の母親の手紙のなかで、すでに亡くなった人として言及されているのです。彼が再婚した記録は見つかっていません。美術史家マーガレット・コスターは、この絵を亡き妻をしのぶ追悼の肖像だと論じました。ただし、当時のブルッヘにはアルノルフィーニ家の男性が少なくとも五人おり、モデルの特定そのものにも決着はついていません。

長く信じられてきた名画の定説が、一枚の古文書で書き換えられた例は少なくありません。教科書が印刷された後に判明した、名画についての新発見でも、そうした事例を紹介しています。

「結婚証明書」説について

この絵が結婚の法的な証明書として描かれたという説は、1934年に美術史家エルヴィン・パノフスキーが唱えたものです。壁の署名を、立会人の署名と読んだのです。この説は20世紀を通じて非常に有名になりましたが、現在では支持されていません。キャンベルは、この絵を二人の肖像画以上の特別な意味で読む必要はなく、結婚を記念したものである可能性はあっても、法的な記録ではないとしています。

見どころ

この絵の前に立ったら、まず左の窓から差し込む光の流れを追ってください。外にはさくらんぼの実る木が見え、窓辺にはオレンジが置かれています。当時の北ヨーロッパでオレンジは高価な輸入品であり、この部屋の住人の富を示しています。

  • シャンデリア。真鍮のシャンデリアには蝋燭立てが七つありますが、火が灯っているのは一本だけ、それも昼間です。しかも灯っている蝋燭は男性の頭上にあり、女性の側の蝋燭は燃え尽きた跡だけが残っています。追悼の肖像と読む研究者は、ここに生と死の対比を見ます。
  • 小犬。二人の足元の小さな犬は、伝統的に忠誠の象徴とされてきました。ただし中世の墓碑彫刻では、亡くなった人の足元に犬を置くのが慣わしでもありました。どちらの意味にも読めるのです。
  • 脱いだ靴。手前には男性の木製のサンダル(パタン)が、奥には赤い靴が脱ぎ置かれています。
  • 緑のドレス。女性は妊娠しているように見えますが、ナショナル・ギャラリーは、毛皮で裏打ちされた重いドレスを持ち上げているだけの、当時の流行の装いだとしています。
  • ロザリオ。鏡の横に掛かった水晶の数珠は、当時、夫から妻への贈り物の定番でもありました。
  • 凸面鏡。鏡の枠には、キリストの受難を描いた十の小さな場面がはめ込まれています。そして鏡のなかには、部屋の入口に立つ二人の人物が映っています。その一人は画家自身だと考えられています。
  • 署名。鏡の上の壁に、装飾的な書体で「ヤン・ファン・エイクここにありき 1434年(Johannes de eyck fuit hic 1434)」と書かれています。作品の隅に名前を記すのではなく、壁の落書きのように画中に書き込んだ署名です。

この絵がたどった道

この絵の旅は、それ自体がヨーロッパ史です。

最初の記録は1516年、ネーデルラント総督マルガレーテ・フォン・エスターライヒの財産目録です。スペインの廷臣ドン・ディエゴ・デ・ゲバラから贈られた「アルノルフィーニが妻とともに部屋にいる大きな絵」として記されています。彼女の死後は姪のハンガリー王妃マリアに渡り、やがてスペイン王室のコレクションに入ってマドリードの宮殿に掛けられました。17世紀、同じ宮廷に仕えたベラスケスもこの絵を目にしていたはずです。鏡のなかに人物を映し込んだ彼の『ラス・メニーナス』に、その影響を見る研究者もいます。

転機は1813年、ナポレオン戦争のビトリアの戦いでした。敗走するナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトの馬車には、スペイン王室から持ち出された絵画が積まれており、それはイギリス兵によって略奪されます。この絵は、その場にいたスコットランドの軍人ジェームズ・ヘイの手に渡ったと考えられています。ヘイは摂政皇太子(のちのジョージ4世)に献上しようとしましたが、皇太子は二年ほど手元に置いたあと返却しました。

1842年、設立まもないナショナル・ギャラリーが600ポンドでこの絵を購入します。翌年公開されると、新聞はさまざまな物語を想像しました。身ごもった恋人と結婚する男の場面だという説や、男が女性の手相を見ているところだという説まで出ています。

ヤン・ファン・エイクについて

ヤン・ファン・エイク(1390年頃~1441)は、初期フランドル絵画を代表する巨匠です。ブルゴーニュ公フィリップ善良公の宮廷画家として仕え、外交使節団に加わってポルトガルまで旅するなど、単なる画家以上の役割を果たしました。

彼はしばしば「油絵を発明した人」と紹介されますが、これは16世紀の伝記作家ヴァザーリに由来する誤解です。油を媒材とする技法はそれ以前から知られていました。ファン・エイクの功績は、半透明の絵具を何層にも重ねることで、金属の反射、毛皮の柔らかさ、ガラスの透明感を、それまで誰も到達できなかった精度で描き分けたことにあります。

現存する彼の作品は二十点ほどにすぎません。ヘントの聖バーフ大聖堂にある『神秘の子羊』の祭壇画が、もう一つの代表作です。

遺産と影響

日常の室内を、光と物の精密な描写で満たすという方法は、二百年後のオランダ黄金時代に受け継がれます。フェルメールの『牛乳を注ぐ女』の窓辺の光や、『真珠の耳飾りの少女』の質感の描き分けは、この絵の遠い子孫と言えます。同じ北方の画家でも、ボスの『快楽の園』が幻想の世界を描いたのとは対照的に、ファン・エイクは目に見える現実そのものに意味を宿らせました。

19世紀には、ラファエル前派の画家たちがこの絵に強く惹かれました。1843年にナショナル・ギャラリーで公開されたこの絵は、ロセッティやハントらに、細部まで真実を描くという理想の手本を示します。20世紀末には画家デイヴィッド・ホックニーが、ファン・エイクら初期フランドルの画家たちが光学的な装置を使った可能性を論じ、大きな論争を呼びました。

作品が見られる場所

ロンドンのトラファルガー広場にあるナショナル・ギャラリーにあります。常設展示は無料です。初期フランドル絵画は、2025年に改修を終えて再開したセインズベリー・ウィングを中心に展示されていますが、大規模な再配置で展示室の番号が変わっているため、訪問前に公式サイトか館内の案内で現在の位置をご確認ください。

  • 開館はおおむね10時~18時、金曜は21時までです。
  • 近くの地下鉄駅はチャリング・クロスとレスター・スクエアです。
  • 実物は思ったより小さな絵です。縦82センチほどの画面に、これだけの細部が詰め込まれています。鏡の場面や署名は、近づいて見なければわかりません。
  • 同じ美術館には、ファン・ゴッホの『ひまわり』をはじめ、六百年にわたる西洋絵画が並んでいます。ロヘル・ファン・デル・ウェイデンらの同時代の作品とあわせて見ると、15世紀フランドル絵画の革新がよくわかります。

よくある質問

『アルノルフィーニ夫妻の肖像』に描かれているのは誰ですか?

現在はルッカ出身の商人ジョヴァンニ・ディ・ニコラーオ・アルノルフィーニとその妻と考えられています。かつての定説だったジョヴァンニ・ディ・アリーゴとジョヴァンナ・チェナーミの夫婦は、1447年まで結婚していなかったことが判明しました。ただし、モデルの特定には今も議論があります。

この絵は結婚式の場面ですか?

かつてはそう考えられ、結婚の法的証明書だという説もありましたが、現在は支持されていません。モデルとされる人物の最初の妻が絵の日付より前に亡くなっていたことから、追悼の肖像だとする説も出ています。

女性は妊娠しているのですか?

ナショナル・ギャラリーによれば、毛皮で裏打ちされた重いドレスを持ち上げているだけで、当時の流行の装いです。

鏡に映っているのは画家本人ですか?

鏡に映る二人のうち一人がファン・エイク自身だという説が有力です。鏡の上の「ヤン・ファン・エイクここにありき」という署名と呼応していると考えられています。

ファン・エイクは油絵を発明したのですか?

いいえ。油を使う技法はそれ以前から存在していました。ファン・エイクの革新は、薄い絵具の層を重ねて、光や質感をかつてない精度で表現した点にあります。

この絵はどうしてロンドンにあるのですか?

スペイン王室のコレクションにあったこの絵は、1813年のビトリアの戦いのあとイギリスの軍人の手に渡り、1842年にナショナル・ギャラリーが購入しました。

この絵の前で最後まで残るのは、二人の手です。男は女の手を取っていますが、その指は軽く添えられているだけです。結婚の誓いなのか、別れの記憶なのか。六百年前の小さな部屋は、その問いに答えないまま、今も一本の蝋燭だけを灯しています。

画像: The Arnolfini Portrait – ヤン・ファン・エイク、1434年、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.

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