半跏思惟像 – 2016年、中宮寺の像と並んだ日
2016年の初夏、海を隔てて千四百年近く離れていた二体の仏像が、初めて並びました。ソウルの韓国国立中央博物館が所蔵するこの金銅半跏思惟像と、奈良・中宮寺の国宝半跏思惟像です。二体はまずソウルで、続いて東京国立博物館で、同じ部屋に置かれました。同じ姿勢で、同じように頬に指を添え、片方は金銅、片方は木。似ていることは、よく知られていました。並べて見るまで、どこが違うのかは誰にもわからなかったのです。
基本情報
「国宝第78号」という呼び方について
最初に用語を整理しておく必要があります。
韓国の国宝には長く番号が付されていました。ところが2021年11月、この番号制は廃止されました。番号が序列と誤解され、番号の若い文化財がより重要だと受け取られることが問題視されたためです。
したがって現在の正式な名称は金銅弥勒菩薩半跏思惟像であり、番号は管理上の識別子として残るのみです。
さらに2024年、韓国の文化財行政機関「文化財庁」は「国家遺産庁」に改称されました。
ただし検索や一般的な会話では「78号」「83号」という呼び分けが依然として使われています。二体を区別する必要があるためです。
78号と83号を混同しないために
韓国国立中央博物館には、二体の金銅半跏思惟像があります。この二体はしばしば取り違えられます。
78号(本作)。6世紀後半の作。冠に日と月をかたどったとされる装飾があり、全体に華やかです。衣の襞は複雑で、装身具が多く付きます。
83号。7世紀前半の作とされ、78号より一回り大きい像です。冠は三つの山形だけの簡素なもので、三山冠と呼ばれます。上半身はほとんど裸で、装飾が極端に少なくなっています。
つまり78号が装飾的で、83号が簡素です。そして83号のほうが大きいです。
そして日本との関係も、二体で異なります。京都・広隆寺の像とよく比較されるのは83号です。一方、2016年に奈良・中宮寺の像と並んだのは78号、つまりこの像でした。
2016年、二つの半跏思惟像
2016年、日韓国交正常化50周年を記念した事業として、両国を代表する半跏思惟像を一体ずつ選び、二つの国で並べて展示するという、前例のない企画が実現しました。
選ばれたのは、韓国国立中央博物館のこの像と、奈良・中宮寺に伝わる国宝の半跏思惟像です。二体はまず5月24日から6月12日まで、ソウルの韓国国立中央博物館の「韓日国宝半跏思惟像の出会い」展で並びました。続いて6月21日から7月10日まで、東京国立博物館の特別展「ほほえみの御仏——二つの半跏思惟像——」で、ふたたび同じ部屋に置かれます。両国の国宝の半跏思惟像が同時に公開されたのは、これが初めてでした。
並べてみると、違いがはっきりします。中宮寺の像は7世紀の木彫で、黒く艶のある肌をしています。装飾は少なく、口もとの微笑みは「アルカイック・スマイル」の代表例として知られます。この像は金銅で、冠や装身具が華やかで、表情はより内に閉じています。同じ姿勢、同じ主題でありながら、素材と装飾と表情が違う。似ていることより、違うことのほうが、二つの国の仏教彫刻のそれぞれの歩みを語っていました。
広隆寺像とアカマツ——83号の物語
日本と朝鮮半島の半跏思惟像を語るとき、必ず登場するのが、京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像です。日本の国宝彫刻の第一号に指定された像として知られます。
この広隆寺像と、韓国国立中央博物館の83号の類似は、早くから指摘されてきました。冠の形、上半身の処理、脚の組み方、指の角度がきわめて近いためです。
そしてもう一つの手がかりが材質です。広隆寺像は主にアカマツで彫られています。飛鳥時代の日本の木彫仏はクスノキで作られることがほとんどで、アカマツは例外的です。一方、朝鮮半島ではアカマツが仏像の材として用いられたとされます。
『日本書紀』推古31年(623年)の条には、新羅から仏像がもたらされ、それが秦氏の寺に納められたという記録があります。広隆寺を建立した秦河勝が渡来系氏族であったことも、この文脈に置かれます。
ただし、広隆寺像そのものが朝鮮半島から渡来したのか、渡来した工人が日本で制作したのかについては、なお議論があります。
なお、広隆寺像には一つの事件があります。1960年8月、大学生が像に触れて、右手の薬指を折ってしまいました。指はその後修復されています。
ヤスパースの言葉について
「人類が生み出した最も美しい彫刻」というカール・ヤスパースの言葉は、半跏思惟像を紹介する文章によく引かれます。
二点、確認しておく必要があります。
第一に、この発言は広隆寺像についてのものとして伝えられており、韓国の78号や83号についてのものではありません。
第二に、この言葉がヤスパースの著作のどこにあるのかは、はっきりしません。日本と韓国の双方で広く流布していますが、一次資料による裏づけが示されないまま繰り返されている引用です。
作品の価値はこの逸話に依存しません。
この作品が忘れられない理由
半跏思惟という姿勢は、片足をもう一方の膝に乗せ、指を頬に添える形です。仏になる前の釈迦、あるいは未来仏である弥勒が、衆生の救済について思索している姿とされます。
この主題はインドに始まり、中国、朝鮮半島を経て日本へ伝わりました。日本と朝鮮半島では、6世紀から8世紀にかけて多くの像が作られています。
この像で際立つのは、指と頬の距離です。触れていません。わずかな隙間があります。
そして口元です。微笑んでいるとも、いないとも読めます。目は半ば閉じられ、視線は下方に落ちています。
装飾は豊かですが、顔だけが静かです。この落差がこの像の構造です。
技術について
この像は蝋型鋳造で作られたと考えられています。蜜蝋で原型を作り、外側を土で覆い、加熱して蝋を流し出し、空いた空間に溶けた銅合金を流し込む方法です。
注目すべきは壁の薄さです。この像の金属は、部分によってごく薄く鋳造されています。
高さ80センチを超える像を、これほど薄く、しかも破綻なく鋳造することは容易ではありません。溶けた金属が隅々まで回り、冷却時に割れないよう制御する必要があります。
表面は金でめっきされていました。現在も一部に金の層が残っています。
作者について
制作者の名前は伝わっていません。
三国時代の金銅仏は、王室の庇護下にあった専門の工人集団によって作られたと考えられています。彼らは鋳造、鍍金、彫金の技術を持ち、その知識は師から弟子へ伝えられました。
この像がどの国で作られたのかについても、確定していません。新羅説と百済説などがあり、いずれも決め手を欠いています。出土地が不明であることが、議論が続く理由です。
作品が見られる場所
ソウルの韓国国立中央博物館にあります。
2021年11月、この二体のために専用の展示室が新設されました。「思惟の部屋(사유의 방)」と呼ばれる空間です。照明を落とした部屋に、78号と83号が並んで置かれています。展示室の入口には暗い通路があり、そこを歩いてから像に出会う構成です。
二体を同時に見られるのは、この部屋だけです。
- 地下鉄4号線および京義中央線の二村駅から徒歩圏です。
- 常設展示は無料です。開館時間と休館日は変更されることがあるため、訪問前に公式サイトでご確認ください。
- 同館には朝鮮白磁の月壺や、鄭敾の『仁王霽色図』もあります(紙の作品は展示期間が限られます)。
日本で比較を試みるなら、二つの寺があります。この像と2016年に並んだ像に会うなら、奈良・斑鳩の中宮寺。83号と比べられてきた像に会うなら、京都の広隆寺の霊宝殿です。どちらも写真撮影はできません。
二体を比べると、共通点とともに違いも見えてきます。素材が木と金属である以上、表面の質感も、光の受け方もまったく異なります。
この像の前で最後まで残るのは、指と頬のあいだの隙間です。触れていません。千四百年のあいだ、その数ミリは埋まっていません。
画像: 金銅弥勒菩薩半跏思惟像、三国時代・6世紀後半、韓国国立中央博物館蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.
