半跏思惟像 – 広隆寺像がアカマツである意味
この像と京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像の関係について、様式の類似はよく語られます。しかしより確かな根拠は材質にあります。広隆寺像はアカマツから彫られています。同時代の日本の仏像に用いられたのはクスノキであり、アカマツは朝鮮半島で使われた木です。『日本書紀』には推古天皇31年(623年)に新羅から仏像がもたらされたという記録があります。
基本情報
「国宝第78号」という呼び方について
最初に用語を整理しておく必要があります。
韓国の国宝には長く番号が付されていました。ところが2021年11月、この番号制は廃止されました。番号が序列と誤解され、番号の若い文化財がより重要だと受け取られることが問題視されたためです。
したがって現在の正式な名称は金銅弥勒菩薩半跏思惟像であり、番号は管理上の識別子として残るのみです。
さらに2024年、韓国の文化財行政機関「文化財庁」は「国家遺産庁」に改称されました。
ただし検索や一般的な会話では「78号」「83号」という呼び分けが依然として使われています。二体を区別する必要があるためです。
78号と83号を混同しないために
韓国国立中央博物館には、二体の金銅半跏思惟像があります。この二体はしばしば取り違えられます。
78号(本作)。高さ約82cm。冠に日と月をかたどった装飾があり、全体に華やかです。衣の襞は複雑で、装身具が多く付きます。
83号。高さ約93.5cm。冠は三つの山形だけの簡素なもので、三山冠と呼ばれます。上半身はほとんど裸で、装飾が極端に少なくなっています。
つまり78号が装飾的で、83号が簡素です。そして83号のほうが大きいです。
広隆寺像とよく比較されるのは83号のほうです。三山冠と簡素な上半身が共通しています。
広隆寺像との関係
京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像は、日本の国宝彫刻第一号に指定された作品です。
この像と韓国の83号の類似は早くから指摘されてきました。冠の形、上半身の処理、脚の組み方、指の角度がきわめて近いためです。
決め手になったのは材質でした。広隆寺像はアカマツ材です。飛鳥時代の日本の木彫仏はほぼクスノキで作られており、アカマツは例外的です。そしてアカマツは朝鮮半島で仏像材として用いられていました。
『日本書紀』推古31年(623年)の条には、新羅から仏像が送られてきたという記録があります。広隆寺を建立した秦河勝が渡来系氏族であったことも、この文脈に置かれます。
ただし、広隆寺像そのものが朝鮮半島から渡来したのか、渡来した工人が日本で制作したのかについては、なお議論があります。
なお、広隆寺像には一つの事件があります。1960年8月、大学生が像を抱きしめ、右手の薬指を折ってしまいました。修理の際に材質調査が行われ、アカマツであることが確認されています。
ヤスパースの言葉について
「人類が生み出した最も美しい彫刻」というカール・ヤスパースの言葉は、この作品を紹介する文章によく引かれます。
二点、確認しておく必要があります。
第一に、この発言は広隆寺像についてのものとして伝えられており、韓国の78号や83号についてのものではありません。
第二に、ヤスパース自身の著作にこの発言は見当たりません。日本と韓国の双方で広く流布していますが、一次資料による裏づけがないまま繰り返されている引用です。
作品の価値はこの逸話に依存しません。
この作品が忘れられない理由
半跏思惟という姿勢は、右足を左膝に乗せ、右手の指を頬に添える形です。仏になる前の釈迦、あるいは未来仏である弥勒が、衆生の救済について思索している場面とされます。
この主題は中国の南北朝時代に成立し、朝鮮半島を経て日本へ伝わりました。
この像で際立つのは、指と頬の距離です。触れていません。わずかな隙間があります。
そして口元です。微笑んでいるとも、いないとも読めます。目は半ば閉じられ、視線は下方に落ちています。
装飾は豊かですが、顔だけが静かです。この落差がこの像の構造です。
技術について
この像は蝋型鋳造で作られています。蜜蝋で原型を作り、外側を土で覆い、加熱して蝋を流し出し、空いた空間に溶けた銅合金を流し込む方法です。
注目すべきは壁の薄さです。この像の金属層は、部分によって数ミリしかありません。
高さ80センチを超える像を、これほど薄く、しかも破綻なく鋳造することは、現代の技術をもってしても容易ではありません。溶けた金属が隅々まで回り、冷却時に割れないよう制御する必要があります。
表面は金でめっきされていました。現在も一部に金の層が残っています。
作者について
制作者の名前は伝わっていません。
三国時代の金銅仏は、王室の庇護下にあった専門の工人集団によって作られたと考えられています。彼らは鋳造、鍍金、彫金の技術を持ち、その知識は師から弟子へ伝えられました。
この像がどの国で作られたのかについても、確定していません。新羅説と百済説があり、いずれも決め手を欠いています。出土地が不明であることが、議論が続く理由です。
作品が見られる場所
ソウルの韓国国立中央博物館にあります。
2021年11月、この二体のために専用の展示室が新設されました。「思惟の部屋(사유의 방)」と呼ばれる空間です。
照明を落とした暗い部屋に、78号と83号が並んで置かれています。ガラスケースはありません。床はわずかに傾斜しており、天井は高く、音を抑えた設計になっています。展示室の入口には長い暗い通路があり、そこを歩いてから像に出会う構成です。
二体を同時に、遮るものなしに見られるのはこの部屋だけです。
- 地下鉄4号線および京義中央線の二村駅から徒歩圏です。
- 常設展示は無料です。開館時間と休館日は変更されることがあるため、訪問前に公式サイトでご確認ください。
- 同じ館に百済金銅大香炉があります。三国時代の金属工芸を併せて見ることができます。
- 同館には朝鮮白磁の月壺もあります。
日本から比較を試みるなら、京都の広隆寺を訪ねることになります。霊宝殿に弥勒菩薩半跏思惟像があります。写真撮影は禁止されています。
二体を比べると、共通点とともに違いも見えてきます。素材が木と金属である以上、表面の質感も、光の受け方もまったく異なります。
この像の前で最後まで残るのは、指と頬のあいだの隙間です。触れていません。千四百年のあいだ、その数ミリは埋まっていません。
画像: 金銅弥勒菩薩半跏思惟像、三国時代・6世紀後半、韓国国立中央博物館蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.
