バベルの塔 – 傾いているのは土台のほうだ
この塔が傾いている理由は、職人の腕が悪いからではありません。土台が傾いているからです。ブリューゲルは、岩山の斜面に沿って各層を積み上げていく建設現場を描きました。水平な地面に対してではなく、傾いた斜面に対してです。そのため左右のアーチの高さが揃わず、いくつかの層はすでに歪み始めています。崩壊は完成を待っていません。すでに始まっています。
基本情報
- 作者: ピーテル・ブリューゲル(父)(1525頃~1569)
- 制作年: 1563年
- 技法: 板に油彩
- 寸法: 114 × 155 cm
- 芸術運動: 北方ルネサンス
- 所蔵先: ウィーン美術史美術館
失敗しているのは労働ではなく設計です
画面を近くで見ると、建設は極めて順調に進んでいることがわかります。
石材を運ぶ人々がいて、資材を積んだ荷車があり、人力の大型クレーンが石を吊り上げています。滑車があり、足場があり、道具を担いだ職人が上がっていきます。ブリューゲルは16世紀の建設現場を、記録として通用するほどの精度で描きました。
働く人々は有能です。道具も正しく使われています。
問題は最初の一手にあります。彼らは岩山を切り崩し、その斜面に沿って一層目を置きました。以後、すべての層はその傾きを引き継ぎます。上へ行くほど誤差は積み重なり、左右のアーチはずれ、開口部の高さが揃わなくなります。
つまりこれは、神が罰として崩す話である以前に、最初に据えた基準が間違っていて、それを正しく積み上げ続けた結果の話として読むことができます。
そう見ると、この絵の主題は傲慢というより、修正されない前提のほうに近づきます。
なぜコロッセオなのか
ブリューゲルは1552年から53年頃、ローマに滞在しました。そこで彼が見たのがコロッセオです。
この塔の構造はコロッセオを思わせます。連続するアーチ、層ごとに積み上がる外周、そして内部の構造です。
重要なのは、彼が見たコロッセオがすでに廃墟だったことです。中世を通じて石材の採取場として使われ、地震で外壁の一部が崩れ落ちた後の姿です。
つまりブリューゲルは、崩れた建物を手本にして、これから崩れる建物を描きました。
足元の街はアントワープです
塔の裾に広がる街を見てください。古代のバビロンではありません。切妻屋根の家々、運河、そして帆船で埋まった港。16世紀のフランドルの都市です。
ブリューゲルがこれを描いた頃、アントワープはヨーロッパ有数の貿易港でした。多くの言語が話され、莫大な富が集まり、そして宗教改革をめぐる緊張が高まっていました。
塔の右側は海に向かって開いており、船が接岸しています。建設資材はそこから運ばれてきます。
聖書の物語を借りながら、ブリューゲルが描いたのは自分の時代の街でした。
象徴と見どころ
左下の人物群。王冠をつけた人物の前で石工たちがひざまずいています。通常ニムロデ王と解釈されます。ただし注意すべき点があります。創世記のバベルの塔の物語に、ニムロデは塔の建設者として登場しません。彼を塔の建設者とする伝承は、ユダヤの歴史家ヨセフスに由来するものです。
そしてこの権力者は、塔に比べて極めて小さく描かれています。
雲に入る頂上。塔の上部はすでに雲を突き抜けています。それでも工事は続いています。
未完成と既存の同居。下層にはすでに窓が入り、人が住んでいるように見えます。中層はまだ骨組みです。上層は石を積んでいる最中です。一つの建物のなかで、いくつもの時間が同時に進んでいます。
色。塔は赤みを帯びた黄土色で描かれ、背景の海と空の青と対比されます。
二枚、あるいは三枚
ブリューゲルはこの主題を少なくとも三度描いたといわれます。現存するのは二点です。
ウィーン版(1563年、114 × 155 cm)。本作です。ニムロデと思われる人物群が描かれています。
ロッテルダム版(1568年頃、ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館、60 × 74.5 cm)。ずっと小さい作品です。王の一行はなく、塔はより高く、より大きく画面を占めます。小さな画面に、およそ1400人もの人物が描き込まれています。
そして失われた一枚。ローマ滞在中に、細密画家ジュリオ・クローヴィオのもとで象牙に描かれたバベルの塔があったことが記録に残っています。現存しません。
何度も描いたということは、この主題が彼にとって片付かない問題だったことを示しています。
歴史的背景
1563年のネーデルラントは緊張の只中にありました。宗教改革が浸透し、スペイン・ハプスブルク家の統治への不満が強まっていました。この数年後にはアルバ公が派遣され、弾圧が始まります。
「一つの言葉を持つ人々が力を合わせて天に届く塔を建てようとし、言葉を乱されて散った」という物語は、この状況で読まれると別の響きを持ちます。統一を強いる権力と、その破綻です。
ただしブリューゲルは何も明言していません。彼の作品が今日まで解釈され続けているのは、そのためでもあります。
ピーテル・ブリューゲル(父)について
生年は1525年から30年頃とされ、出生地も確定していません。1550年代にアントワープで版画の下絵を描く仕事から出発し、ヒエロニムス・ボスの様式を受け継ぐ作家としても売り出されました。
「農民のブリューゲル」と呼ばれますが、彼自身は都市の教養層と交わる画家でした。農民を描いたのは、農民だったからではありません。
1563年にブリュッセルへ移り、1569年に没しました。四十代でした。『雪中の狩人』も同じウィーン美術史美術館にあります。
遺産と影響
この塔の形は、以後「バベルの塔」の視覚的な定型になりました。文学、映画、ゲーム、建築批評が繰り返し参照しています。
興味深い転用が一つあります。1990年代、ヨーロッパの統合を宣伝するポスターに、この絵を下敷きにした図像が用いられたことがありました。多くの言語を持ちながら一つのヨーロッパを築く、という趣旨です。
批判はすぐに出ました。原典において、その事業は完成しないからです。
日本では?
ウィーン版はほとんど館外に出ることがありませんが、もう一枚、ロッテルダム版は日本に来ています。2017年、「ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル『バベルの塔』展」が、東京都美術館(4月18日~7月2日)と大阪の国立国際美術館(7月18日~10月15日)で開かれ、この絵は24年ぶりに来日しました。
この展覧会では、およそ1400人もの人物が描き込まれた小さな画面を見やすくするため、東京藝術大学の協力で、最新技術によって約2倍の大きさに拡大した複製画が作られ、塔のCG映像も制作されました。
そしてもう一つ、日本ならではの応答がありました。『AKIRA』で知られる漫画家・大友克洋が、この展覧会のために、塔の内部構造を描き出した作品『INSIDE BABEL』を制作したのです。ブリューゲルを好きな画家の一人に挙げる大友は、制作にあたってロッテルダムのボイマンス美術館を訪ね、学芸員と意見を交わしたうえで構想を練りました。外からしか見えなかった塔の内側を、四百五十年後の日本の漫画家が描いたことになります。
同じ展覧会では、ブリューゲルが手本としたヒエロニムス・ボスの油彩2点も初めて来日しました。ボスの代表作『快楽の園』の画家と、その後継者の作品が、同じ会場に並んだのです。
作品が見られる場所
ウィーン美術史美術館にあります。マリア・テレジア広場に面した建物です。
- 開館時間と休館日、料金は変更されることがあるため、訪問前に公式サイトでご確認ください。
- 地下鉄U2・U3線の「Volkstheater」駅または「MuseumsQuartier」駅から歩いてすぐです。
- この美術館は世界最大のブリューゲル・コレクションを持っています。現存する板絵のおよそ三分の一がここにあります。『雪中の狩人』『農民の婚宴』『子供の遊戯』が同じ区域にあります。
- 近づいて見てください。この絵の要点は全体の構図ではなく、塔の表面で働く無数の人々の作業です。離れると見えません。
- 同じ館にフェルメールの『絵画芸術』、ラファエロ、カラヴァッジョ、ベラスケスの作品があります。
ロッテルダムのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館にもう一点あります。ただし同館は改修のため長期休館しており、作品の公開状況と再開時期は公式サイトでご確認ください。
この絵の前で最後まで残るのは、崩壊の予感ではなく整合性です。クレーンは正しく吊り、石工は正しく積んでいます。すべての工程が正しく行われています。ただ最初に据えた一層目が傾いていて、誰もそれを止めませんでした。
画像: De toren van Babel – ピーテル・ブリューゲル(父)、1563年、ウィーン美術史美術館蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.
