アテナイの学堂 – ミケランジェロは後から描き足された
画面手前の階段に頬杖をついて座る人物——ミケランジェロの顔を与えられたヘラクレイトス——は、当初の構想にありませんでした。ミラノのアンブロジアーナ図書館に残るラファエロの原寸大の下絵(カルトン)に、この人物は描かれていません。技術調査でも、壁画の完成後に漆喰を塗り直して描き加えられたことが確認されています。
基本情報
- 作者: ラファエロ・サンツィオ(1483~1520)
- 本来の主題: 哲学
- 制作年: 1509~1511年
- 技法: フレスコ
- 寸法: 幅約770cm、高さ約500cm
- 場所: バチカン使徒宮殿、署名の間(スタンツァ・デッラ・セニャトゥーラ)
- 芸術運動: ルネサンス
後から足された一人
この追加が何を意味するのか、順を追うと明確になります。
ラファエロがこの壁を描いていたのと同じ時期、数十メートル離れたシスティーナ礼拝堂で、ミケランジェロが天井画を制作していました。『アダムの創造』を含む、あの天井です。
ミケランジェロは作業を人目から隠していました。しかしラファエロは、何らかの経路でそれを見たとされます。ブラマンテが鍵を渡したという話が伝わっていますが、確証はありません。天井の前半部分が公開された1511年夏の前後に見たとする見方もあります。
そして彼は自分の壁に戻り、ミケランジェロの様式で、ミケランジェロの顔をした人物を描き足しました。技術調査によれば、この人物のためにわざわざ漆喰が塗り直されています。
この人物の姿勢を見てください。重い体躯、ねじれた上体、階段に投げ出された脚。システィーナ天井の力強い人体像を思わせる型です。
つまりこれは敬意の表明であると同時に、自分も同じことができるという表示でもあります。
そして彼は一人だけ、他の誰とも話していない人物としてそれを配置しました。頬杖をつくのは、伝統的に憂鬱な瞑想を表す姿勢です。この画面で唯一、対話に加わっていない人物です。ミケランジェロは実際、孤立した性格で知られていました。完成作が当初の構想と違っていたという、こうした発見の例は、教科書が印刷された後に判明した、名画についての新発見でも紹介しています。
ミラノに残る、もう一つの『アテナイの学堂』
ヘラクレイトスの不在を証言するカルトンは、ミラノのアンブロジアーナ絵画館にあります。縦285センチ、横804センチ。ルネサンス期のカルトンとしては現存する最大のもので、全体がラファエロ自身の手で描かれています。壁画と違い、ラファエロ以外の手がまったく入っていない、唯一の『アテナイの学堂』です。
ラファエロはこの原寸大の素描を、教皇ユリウス2世に構想を見せるために用いたと考えられています。このカルトンはナポレオンの時代にパリへ持ち去られ、1816年までにミラノへ戻りました。2014年から四年がかりの修復が行われ、2019年3月27日、新しく設計された展示室で再び公開されています。
アンブロジアーナからほど近い場所には、レオナルドの『最後の晩餐』があります。プラトンの顔のモデルとされる画家の代表作と、プラトンが描かれた絵の下絵を、同じ日にミラノで見られるわけです。完成作と下絵、どちらを「本物の作品」と呼ぶかという問いについては、あなたが見ているのは、どの版?——複数存在する名画たちでも取り上げています。
この部屋は何の部屋か
「署名の間」という名称は、装飾的な呼び名ではありません。
この部屋はもともと教皇ユリウス2世の私的な図書室であり、のちに教皇庁の司法機関がここで開かれたことから、この名で呼ばれるようになりました。
四つの壁にはそれぞれ、人間の知の四領域が割り当てられました。
- 哲学 — 本作『アテナイの学堂』
- 神学 — 『聖体の論議』。この作品の正面にあります
- 詩 — 『パルナッソス』
- 法 — 『枢要徳』
したがって、この壁だけを見ることは半分しか見ないことになります。特に振り返って『聖体の論議』を見てください。古代の理性と、キリスト教の啓示が向き合う構成です。
なお『アテナイの学堂』という題名はラファエロのものではありません。この壁画の本来の主題は「哲学」です。
誰が誰なのか
約五十人が描かれていますが、確定している同定は多くありません。
中央の二人。左がプラトン、右手の人差し指を天に向けています。顔はレオナルド・ダ・ヴィンチとされます。抱えているのは『ティマイオス』です。右がアリストテレス、掌を下に向けています。抱えているのは『ニコマコス倫理学』です。
天と地。イデアと経験。この二つの手が絵の中心です。
左手前、書き物をする人物がピタゴラスです。弟子が持つ石板に音階の比率が描かれています。
右手前、コンパスで作図する人物がユークリッド、あるいはアルキメデス。顔は建築家ブラマンテとされます。
そしてこの人物の襟に文字があります。「R.V.S.M.」——Raphael Urbinas Sua Manu、ウルビーノのラファエロ自らの手による、と読まれます。ラファエロの署名です。
階段に寝そべる人物がディオゲネスです。器を傍らに置き、一人で本を読んでいます。
左手、立って話す人物がソクラテス。指を折りながら議論しています。
右端、黒い帽子でこちらを見る若者がラファエロ自身です。隣の白い服の人物は、画家ソドマ、あるいはペルジーノとする説があります。ソドマはこの部屋の装飾に先に関わっており、ラファエロがその仕事を引き継ぎました。
左端、白い衣の若者をフランチェスコ・マリア・デッラ・ローヴェレとする説がありますが、確定していません。
建築について
背景の建物は実在しません。
連続する交差穹窿、巨大な半円アーチ、両側の壁龕。この構成は、当時ブラマンテが設計していた新サン・ピエトロ大聖堂の計画に対応するとされています。
そのブラマンテ本人が、画面のなかでコンパスを持っています。
壁龕の彫像は左がアポロン、竪琴を持っています。右がアテナ(ミネルヴァ)、盾を持っています。芸術と知恵です。
ラファエロについて
ラファエロ(1483~1520)はウルビーノに生まれました。父も画家でしたが、彼が十一歳のときに没しています。
ペルジーノのもとで学び、フィレンツェでレオナルドとミケランジェロの作品に触れ、1508年にローマへ呼ばれました。二十五歳です。
ユリウス2世、続いてレオ10世に重用され、画家としてだけでなく建築家としても働きました。ブラマンテの死後、サン・ピエトロ大聖堂の主任建築家を引き継いでいます。
1520年4月6日、三十七歳で急逝しました。誕生日と同じ日だったと伝えられます。パンテオンに埋葬されており、今もそこにあります。この絵の背景に描いた古代ローマ建築の、実物の内部です。
日本では?
『アテナイの学堂』は壁に描かれたフレスコであり、動かすことはできません。しかし日本は、ラファエロの絵画をまとまって迎えた最初の国の一つです。
2013年3月から6月にかけて東京・上野の国立西洋美術館で開かれた「ラファエロ」展は、ヨーロッパ以外では初めての大規模なラファエロ展でした。作品が貴重なため、ヨーロッパでもラファエロ展の開催はきわめて難しいとされるなか、約60点が集まり、『大公の聖母』が日本で初めて公開されました。開幕からわずか一か月あまりで20万人が訪れています。
この展覧会は、1615年にローマに到着した支倉常長の慶長遣欧使節団の出帆から400年を記念する「日本におけるイタリア2013」の幕開けを飾り、同じ年にはレオナルドとミケランジェロの展覧会も続きました。ルネサンスの三大巨匠が一年のうちに日本に揃ったのです。四百年前、仙台から海を渡った使節団がローマで教皇に謁見したとき、この部屋の壁にはすでに『アテナイの学堂』が描かれていました。
遺産と影響
この作品は西洋美術における構図の教本になりました。数十人を配置しながら混乱させない方法として、アカデミーの教育で繰り返し模写されています。
そして今日、この図像は「知」の視覚記号です。大学、哲学書、講義資料が引用し続けています。
一点、押さえておく価値があります。この絵が描いているのは古代ギリシャではありません。16世紀のローマが想像した古代ギリシャです。人物の顔は同時代人であり、建築は当時の設計図であり、思想の配置は当時の人文主義者の関心を反映しています。
作品が見られる場所
バチカン美術館の観覧順路のなかにあります。「ラファエロの間」と呼ばれる四部屋のうち、署名の間です。
- オンラインでの事前予約が事実上必須です。当日の待ち時間は数時間に及ぶことがあります。
- 開館直後か遅い午後が比較的空いています。
- 肩と膝を覆う服装が必要です。
- 順路は基本的に一方通行です。ラファエロの間を通り過ぎるとシスティーナ礼拝堂に至り、そこから先は出口方向です。
- 部屋のなかで振り返って、正面の『聖体の論議』を見てください。多くの人がこの壁だけ見て次の部屋へ進みます。
そしてこの後、順路はシスティーナ礼拝堂へ続きます。ラファエロがこの人物を描き足す原因になった、ミケランジェロの天井です。二つを同じ日に見られます。五百年前、二人は同じ建物のなかで同時に働いていました。
この絵の前で最後まで残るのは、階段の一人です。他の全員が話し、書き、議論しているなかで、彼だけが誰とも関わらずに座っています。ラファエロは彼を後から描き加えました。
画像: Scuola di Atene – ラファエロ・サンツィオ、1509~1511年、バチカン使徒宮殿。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.
