The Hunters in the Snow by Pieter Bruegel the Elder, 1565

雪中の狩人 – 傾いた看板と、燃えている家

この風景は存在しません。ネーデルラントに、このような山はないからです。ブリューゲルは1552年から53年にかけてイタリアへ旅し、その途上でアルプスを越えて、山並みの記憶を持ち帰りました。この絵の背景にそびえる峰々は、そこから来ていると考えられています。平坦なフランドルの村と、その奥に立ちはだかる山脈。一枚の画面のなかで、二つの土地が接合されています。

基本情報

この作品が忘れられない理由

猟師たちは、うまくいかずに帰ってきています。

三人の男が肩を落として坂を下ります。うつむき、足取りは重く、背中には獲物がほとんどありません。一人が担いでいるのは狐が一匹だけです。連れている十数頭の犬も、どれも痩せて頭を垂れ、尻尾を下げています。

この時代の絵で猟の場面といえば、たいてい貴族の狩猟であり、成果と華やぎを描くものでした。ブリューゲルは正反対を選びました。

そして彼らの表情は見えません。全員が背を向けているか、うつむいています。にもかかわらず、疲労が伝わります。姿勢だけで語る画面です。

看板を見てください

画面左、猟師たちが通り過ぎる建物は宿屋です。看板には「Dit is inden Hert」——「ここは鹿亭」という意味の文字が読み取れます。

そして吊るされた看板には、角のあいだに十字架を戴いた鹿と、その前にひざまずく聖人が描かれています。狩人の守護聖人である聖フベルトゥス、あるいは同じ伝説を持つ聖エウスタキウスの図像です。

その看板は傾いて、片方の留め具が外れかけています。狩人の守護聖人の看板が落ちかけている宿屋の前を、獲物のない猟師たちが通っていく。ブリューゲルの絵に偶然の配置はあまりありません。

看板の下では、人々が藁の火で豚の毛を焼いています。解体の下ごしらえです。冬に豚を屠るのは中世の月暦図の定番の場面であり、この一枚が冬を担当していることの標識でもあります。

象徴と見どころ

対角線。猟師たちが下る斜面が左上から右下へ画面を貫き、視線を奥へ運びます。

木々。手前に立つ裸の木々が縦の線を刻み、その枝が空に網の目を作ります。

鳥。枝にはカラスが止まっています。重く、動きません。そして画面中央を一羽の鳥が横切って飛んでいます。ブリューゲルの絵で鳥は、しばしば画面の静けさを測る目盛りになります。

氷の上の人々。凍った池でスケートをし、ホッケーに似た遊びをし、独楽を回しています。冬の厳しさのなかにも、人々の遊びがあります。

右手の火事。見落とされやすい部分です。画面右寄りの一軒で煙突から火が出ており、人々が梯子をかけて消そうとしています。穏やかな冬の村の絵とされてきたこの画面のなかで、いま一つの家が燃えています。

色。白と灰緑が支配し、そこに黒い木と人影が置かれます。空は青白く、冷たい光が画面を満たしています。

歴史的背景

1565年、ブリューゲルはアントワープの富裕な商人ニコラース・ヨンゲリンクの邸宅のために、一年を巡る連作を制作したと考えられています。各面が季節のひとときを担当する構成で、全6点とされます。現存するのは5点で、一点は失われました。

ウィーンに3点、プラハに1点、ニューヨークのメトロポリタン美術館に1点があります。

この時期のヨーロッパは小氷期と呼ばれる寒冷な時代にありました。とりわけ1564年から65年にかけての冬は厳しかったことが知られています。ブリューゲルが冬をこう描いたのは、様式の選択である以前に、彼が経験した現実でもありました。

同時期のネーデルラントは宗教改革とスペイン統治をめぐる緊張の只中にあり、この絵の翌年には聖像破壊運動が起きます。

ヨンゲリンクの借金と、ウィーンへの道

この連作がなぜウィーンにあるのかには、経緯があります。

1566年、ヨンゲリンクは自分のコレクション——ブリューゲルの16点を含む——を、ある債務の保証として差し出しました。

やがてこれらの絵はアントワープ市の手に渡り、1594年、市はこの連作をハプスブルク家のエルンスト大公に贈呈します。以後、作品はハプスブルク家のコレクションとなり、1891年の美術史美術館開館とともに同館に収められました。

つまりこの絵がウィーンにあるのは、四百年以上前の一人の商人の借金と、一つの都市の贈り物の結果です。

ピーテル・ブリューゲル(父)について

生年は1525年から30年頃とされ、出生地も確定していません。アントワープで版画の下絵を描く仕事から出発しました。

1552年から53年にかけてイタリアへ旅し、その途上でアルプスを越えました。ローマにも滞在し、古代の遺跡の記憶は『バベルの塔』の構造にもつながっていきます。

「農民のブリューゲル」と呼ばれますが、彼自身は都市の教養層と交わる画家でした。1563年にブリュッセルへ移り、1569年に没しています。

遺産と影響

17世紀オランダの風景画は、この系譜の上に成立します。ヤーコプ・ファン・ロイスダールらが受け継いだのは、聖書や神話の口実なしに風景そのものを主題にするという態度でした。

そしてフリードリヒの『霧の海の上の旅人』と並べると、興味深い共通点が見えます。どちらも、実在しない一つの風景を、実際に見た土地の記憶から組み立てたものです。

映像における最も有名な引用は、アンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』(1972年)です。宇宙ステーションのなかで、カメラがこの絵の細部を長く辿っていきます。遠く離れた地球の記憶として提示されるのが、この冬の村でした。

作品が見られる場所

ウィーン美術史美術館にあります。マリア・テレジア広場に面した建物で、向かいは自然史博物館です。

  • 展示室の配置と開館時間、料金は変更されることがあるため、訪問前に公式サイトでご確認ください。
  • 地下鉄U2・U3線の「Volkstheater」駅または「MuseumsQuartier」駅から歩いてすぐです。
  • この美術館は世界最大のブリューゲル・コレクションを持っています。現存する板絵のおよそ三分の一がここにあります。同じ区域に『バベルの塔』『農民の婚宴』『子供の遊戯』、そして同じ連作の『暗い日』と『牛群の帰り』があります。
  • 連作の他の面と並べて見てください。同じ連作の別の季節が隣にあるという状況は、ここでしか成立しません。
  • 近づいて見ることをおすすめします。氷の上の人物、燃えている煙突、傾いた看板は、離れると消えます。

ウィーンには、デューラーの『祈りの手』を所蔵するアルベルティーナ美術館もあります(展示は企画展の機会に限られます)。

この絵の前で最後まで残るのは、静けさではなく音の不在です。氷を削るスケート、犬の息、火を消そうとする声。それらがすべて起きているはずの画面から、音が抜き取られています。ブリューゲルが描いたのは冬の景色ではなく、冬に音がどう消えるかです。絵を見るという体験が、私たちの感覚のなかで何を起こしているのかについては、名画は脳に何をするのかでも取り上げています。

画像: De jagers in de sneeuw – ピーテル・ブリューゲル(父)、1565年、ウィーン美術史美術館蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.

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