自由の女神像 – 鎖は見えない場所に移された
女神の足元には引きちぎられた鎖があります。ところが地上からは見えません。バルトルディは初期の構想で、自由が手に千切れた鎖を掲げる案を検討していました。それを取りやめ、足元へ移し、衣の襞に隠れる位置に置きました。1870年代のアメリカで奴隷解放を正面から示すことが、政治的に容易でなかったためと考えられています。
基本情報
- 作者: フレデリック・オーギュスト・バルトルディ(1834~1904)
- 内部構造: ギュスターヴ・エッフェル
- 台座設計: リチャード・モリス・ハント
- 除幕: 1886年10月28日
- 技法: 銅板の打ち出し(レプセ)、鉄骨支持構造
- 寸法: 像本体46.05m、松明の先端まで約93m。銅板の厚さ2.4mm
- 芸術運動: 新古典主義
- 所在地: アメリカ合衆国ニューヨーク、リバティ島。1984年ユネスコ世界遺産登録
鎖について
この像が構想された時期を確認しておく必要があります。
提案が生まれたのは1865年頃、フランスの法学者エドゥアール・ド・ラブライエの周辺です。同じ年、アメリカでは南北戦争が終わり、憲法修正第13条により奴隷制が廃止されました。
ラブライエは奴隷制廃止を支持する立場にありました。当初の企図に、この廃止への言及が含まれていたことは複数の資料が示しています。
そしてバルトルディの初期の模型には、手に持った鎖が存在します。
完成作でそれは足元に移りました。台座の上に立つ像を地上から見上げても、この部分は視認できません。
アメリカ国立公園局はこの経緯を公式の解説で扱っています。当時のアメリカ南部では再建期の政治的緊張が続いており、奴隷解放を前面に出した記念碑は受け入れられにくい状況にありました。
この像は自由の象徴として贈られましたが、どの自由を指すかについては、最初から調整が加えられていたことになります。
七本の光について
王冠の七本の突起が七大陸と七つの海を表すという説明は広く流布しています。
ただしこれを裏づける同時代の資料はありません。バルトルディ自身が七という数の意味を説明した記録が残っていないのです。
確かなのは、放射状の冠がローマの太陽神ソルの図像に由来することです。そしてバルトルディが強く意識していたのは、古代の巨像であるロドス島の巨像でした。港の入口に立つ太陽神ヘリオスの像です。
エマ・ラザラスの詩が「新しい巨像」と題されているのも、この連想によります。
詩は後から来ました
この像を移民の象徴にしたのは、彫刻家ではなく一篇の詩です。
1883年、台座建設の資金を集める文芸オークションのために、詩人エマ・ラザラスが『新しい巨像』を書きました。疲れた者、貧しい者、自由を求めて身を寄せ合う人々を私に与えよ、という一節を含む詩です。
ただしこの詩は除幕式では読まれず、当時ほとんど注目されませんでした。
ラザラスは1887年に三十八歳で没します。
詩を刻んだ銅板が台座の内部に取り付けられたのは1903年、除幕から十七年後、彼女の死から十六年後でした。友人の尽力によるものです。
つまりバルトルディは移民の像として構想していません。その意味は後から、別の人物によって加えられました。
資金はどう集まったか
フランス側は像の制作費を民間の寄付でまかないました。
アメリカ側は台座の費用を負担することになっていましたが、募金は進みませんでした。1885年には工事が中断します。
状況を変えたのは新聞発行者ジョーゼフ・ピューリツァーです。彼は自紙『ニューヨーク・ワールド』で、寄付した人の名前を金額にかかわらず全員掲載すると宣言しました。
五か月で十万二千ドルが集まりました。寄付者は十二万人を超え、その大半が一ドル未満です。
台座はこれで完成しました。
松明は本物ではありません
現在掲げられている松明は1986年に作られた複製です。
経緯があります。1916年、松明を灯台として機能させるため、銅板に多数の窓を開けてガラスをはめる改造が行われました。これにより構造が弱まり、雨水が浸入するようになります。
1980年代の大修復の際、この松明は交換不能と判断されました。新しい松明は金箔で覆われています。
そしてオリジナルの松明は、2019年に開館したリバティ島の博物館に展示されています。ガラス越しではなく、間近で見ることができます。
この像を訪ねるなら、遠くに掲げられた複製と、手の届く距離にある原物の両方を見ることになります。
どう作られたか
この像は鋳造ではありません。
レプセと呼ばれる技法で、厚さ2.4ミリの銅板を木型に当てて内側から叩き出し、三百枚以上を組み合わせています。
その薄い外皮を支えるのが、ギュスターヴ・エッフェルが設計した内部の鉄骨です。中央に四本の柱からなる塔が立ち、そこから放射状に伸びた骨組みが銅板を保持しています。
重要なのは、銅板が鉄骨に固定されていないことです。両者はばねのような金具で接続され、温度変化による膨張と、風による揺れを吸収できるようになっています。
この方式は、三年後に着工するエッフェル塔の構造思想につながります。
像はパリで組み立てられ、214の木箱に分けて解体され、1885年に船で運ばれました。
見どころ
顔。バルトルディの母シャルロットをモデルにしたという話が伝わっています。確証はありません。
銘板。左手に抱える板に「JULY IV MDCCLXXVI」——1776年7月4日と刻まれています。
足。右の踵がわずかに浮いています。静止ではなく、歩み出す姿勢です。
色。制作当初は磨かれた銅の色でした。緑青に覆われるまでおよそ三十年かかっています。当時、これを汚れと考えて塗装すべきだという議論がありました。実行されませんでした。
作品が見られる場所
ニューヨーク湾のリバティ島にあります。
- マンハッタンのバッテリー・パーク、またはニュージャージー州のリバティ州立公園からフェリーで渡ります。これが唯一の交通手段です。
- チケットは事前予約を強く推奨します。特に王冠まで登る券は数か月前に売り切れます。台座までの券も繁忙期は早く埋まります。
- 王冠へは狭い螺旋階段を162段登ります。エレベーターはありません。
- 空港並みの保安検査があります。時間に余裕を見てください。
- 同じチケットでエリス島へも行けます。1892年から1954年まで、千二百万人の移民が通過した施設です。像と併せて見ることをおすすめします。
日本国内にもレプリカがあります。東京・お台場のものは1998年の「日本におけるフランス年」に合わせてパリから運ばれ、2000年以降は常設のレプリカが設置されています。
パリのセーヌ川白鳥の島にもあります。こちらはニューヨークの方向を向いています。
この像の前で最後まで残るのは、足元です。そこには引きちぎられた鎖があります。バルトルディはそれを手から外し、誰の目にも入らない位置へ移しました。
画像: Statue of Liberty – フレデリック・オーギュスト・バルトルディ、1886年、リバティ島。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.
