The Milkmaid by Johannes Vermeer, 1658

牛乳を注ぐ女 – 背景の壁には棚が描かれていた

この絵の背景の壁は、もともと空ではありませんでした。2022年にアムステルダム国立美術館が行った精密調査で、フェルメールが最初に描いていたものが二つ見つかりました。女性の頭のすぐ後ろの壁に掛けられた、水差しを吊るす棚と、画面右下に置かれた、炭火を入れる籠です。彼はその両方を塗りつぶしました。この画面の静けさは、最初からそこにあったのではなく、取り除いた結果です。

基本情報

2022年にわかったこと

アムステルダム国立美術館は、2023年に開く史上最大規模のフェルメール展に向けて、ハーグのマウリッツハイス美術館の研究者たちと協力し、この作品を最新の技術で調べました。2022年9月8日に発表された結果は、同館の美術部門の責任者が「新しい、予想外のフェルメール」と呼ぶほどのものでした。

塗りつぶされた二つのもの。短波長赤外線による撮影で、女性の頭の後ろの壁に、いくつもの水差しを取っ手で吊るした木の棚が描かれていたことが見えてきました。フェルメールは黒い絵具でそれを描きかけ、仕上げずにやめています。

画面右下に以前から影のように見えていた籠も、より鮮明な画像によって「火籠」だと特定されました。柳の枝で編んだ籠のなかに、炭火を入れた鉢を置くもので、赤ん坊を温めたり、おむつを乾かしたりするために使われた、子どものいる家庭の日用品です。フェルメールはのちにこれを、足温め器と、デルフト焼きのタイルと、床で覆い隠しました。

画家の家にあったもの。フェルメールの死後に作成された財産目録には、彼の家に水差しの棚と火籠があったことが記録されています。同じ形の水差し棚は、アムステルダム国立美術館が所蔵する17世紀の人形の家、ペトロネラ・オールトマンのドールハウスにも小さく作られています。画家は自分の台所にあったものを描き、そして消したのです。

館長タコ・ディビッツは、水差しの棚を残せば構図が騒がしくなりすぎるとフェルメールは考えたのだろう、と述べています。長く信じられてきた名画の「常識」が科学調査で書き換えられたこうした例は、教科書が印刷された後に判明した、名画についての新発見でも紹介しています。

フェルメールは速く描いていた

この調査は、フェルメールの描き方についての一般的な説明も覆しました。

フェルメールは少ない作品を、きわめてゆっくり、きわめて緻密に仕上げた——そう広く信じられてきました。ところが女性の左腕の下には、すばやく引かれた太い黒い線が見つかりました。フェルメールはまず明暗だけで場面を手早く描き、そのあとで細部を仕上げていたのです。美術館は、遅く精密に描く画家という見方は修正されつつある、としています。

作品数が少ない理由は、制作の遅さだけでは説明できません。彼は四十三歳で亡くなり、絵を描くことだけが仕事ではありませんでした。画商としても働き、家族が営んでいた宿屋とも関わりがありました。

この作品が忘れられない理由

この画面では何も起きていません。女性が土鍋にミルクを注いでいる、それだけです。

ところがこの絵が描かれた頃、台所女中は絵画の題材として尊厳を与えられる対象ではありませんでした。同時代の風俗画で女中が登場するときは、たいてい怠惰や欲望や滑稽の記号としてでした。フェルメールはそれをしませんでした。この女性は集中しており、その集中が画面全体を支配しています。

彼女はこちらを見ません。だからこそ鑑賞者は覗いている側になります。『真珠の耳飾りの少女』がまっすぐ見返してくるのと正反対の構造です。

象徴と見どころ

ミルクの流れ。画面の中で唯一動いているものです。細く、途切れず、下の器へ落ちています。この一筋があるために、画面全体が「止まっている」のではなく「持続している」ように見えます。

壁。遠目には平坦に見えますが、近づくと違います。釘が一本刺さっており、その周囲に釘穴の跡があり、漆喰には染みと剥落があります。フェルメールは何もない壁を描いたのではなく、傷んだ壁を丁寧に描きました。そしてその壁の下には、塗りつぶされた水差しの棚が眠っています。

パン。表面に盛り上がった小さな光の点が無数に置かれています。この技法をポワンティエと呼びます。初期のレンズが作る光の滲みに似ているため、フェルメールがカメラ・オブスクーラを使ったという説の根拠としてしばしば引かれますが、確証はありません。『デルフト眺望』の船体にも同じ点があります。

足元のタイル。床際のデルフト焼きのタイルをよく見てください。弓を持ったキューピッドが描かれています。そしてそのすぐそばに足温め器が置かれています。当時のオランダ絵画で足温め器は、女性の情愛を示す記号として使われることがありました。この二つが隣り合っているのは偶然とは考えにくいところです。

ただし解釈は割れています。同じ配置を、女性の慎ましさを際立たせる対比として読む見方もあります。そして2022年の調査で、この足温め器とタイルが、もともと火籠が描かれていた場所を覆うために置かれたことがわかりました。

青。エプロンの青はラピスラズリ由来のウルトラマリンとされます。当時もっとも高価だった顔料の一つであり、通常は聖母マリアの衣などに使われました。台所女中のエプロンにそれを惜しみなく使ったところに、この絵の特別さがあります。

ヨハネス・フェルメールについて

フェルメール(1632~1675)はデルフトに生まれ、その街をほとんど離れませんでした。現存作は三十五点前後です。

生前の名声はデルフト周辺を大きく超えず、死後その名は事実上忘れられました。19世紀半ばにフランスの批評家テオフィル・トレ=ビュルガーが『デルフト眺望』に心を打たれたことをきっかけに再評価が進み、今日の位置に至ります。

国家が買い取った台所の絵

この絵は19世紀を通じて、アムステルダムの名家シックス家のコレクションにありました。

20世紀の初め、この作品が国外へ売却されるかもしれないという話が広まると、オランダ国内は動揺しました。1908年、国が多額の費用を投じてこれを購入し、アムステルダム国立美術館の所蔵となります。その金額は議会でも議論になったと伝えられます。

二百年前には誰も名前を知らなかった画家の、台所を描いた45センチの絵が、国家の問題になったわけです。

日本では?

この絵は、日本で二度、大きな話題を呼んでいます。

最初の来日は2007年です。東京・六本木に開館したばかりの国立新美術館で、9月26日から12月17日まで「フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」が開かれ、この絵が日本で初めて公開されました。アムステルダム国立美術館のコレクションから、絵画や版画、工芸品あわせて116点が並ぶ展覧会でした。

二度目は2018年から2019年にかけて、東京・上野の森美術館で開かれた「フェルメール展」です。『牛乳を注ぐ女』を中心に、日本の展覧会としては過去最多となる9点のフェルメール作品が集まり、68万3485人が訪れました。混雑を避けるために日時指定入場制がとられたことも話題になりました。

このとき、アムステルダム国立美術館の依頼で、ルイ・ヴィトンがこの絵を運ぶための特製のトランクを製作しています。外側には、画面の色をもとにした黄色と青の縞模様が描かれていました。台所の女性は、特別な旅装で海を渡ってきたのです。

作品が見られる場所

アムステルダム国立美術館、名誉の間に近い展示室にあります。

  • 開館は毎日9時から17時までが基本です。ヨーロッパの主要美術館としては珍しく、月曜も開いています。時間は変更されることがあるため、公式サイトでご確認ください。
  • オンラインでの事前予約を推奨します。平日午前が最も空いています。
  • 中央駅からトラム2番または12番で「Rijksmuseum」下車です。
  • 近づいて見てください。この絵の要点は壁の傷とパンの粒にあり、それは離れると消えます。
  • 同じ美術館にレンブラントの『夜警』とフェルメールの『小路』『手紙を読む青衣の女』があります。ペトロネラ・オールトマンの人形の家で、絵から消された水差しの棚の「実物大の縮小版」を探してみるのも一興です。

ハーグのマウリッツハイス美術館までは列車で一時間ほどです。そこに『真珠の耳飾りの少女』と『デルフト眺望』があります。オランダで三点のフェルメールを一日で見ることは可能です。

この絵の前で最後まで残るのは、静けさそのものではなく、静けさが作られた過程です。フェルメールは棚を描き、籠を描き、そして両方を消しました。残ったのは、女性と、注がれ続けるミルクと、釘の刺さった壁だけです。

画像: Het melkmeisje – ヨハネス・フェルメール、1658~59年頃、アムステルダム国立美術館蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.

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