Almond Blossoms by Vincent van Gogh, 1890

アーモンドの花 – この絵を受け取った赤ん坊が美術館を作った

1890年1月31日、テオ・ファン・ゴッホは兄に手紙を書きました。息子が生まれた、名前はあなたと同じフィンセントにする、そしてこの子があなたと同じくらい粘り強く、同じくらい勇敢であってほしい、と。療養院にいたファン・ゴッホは、その返礼としてこの絵を描きました。ヨーとテオはこれを寝室の子どものベッドの上に掛け、赤ん坊はそれを飽きずに見ていたと、後にヨーが書き残しています。

基本情報

この絵を受け取った赤ん坊が、この美術館を作りました

フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ。伯父と同じ名を与えられたこの子は、生後半年で父を失います。テオは兄の死から半年後、1891年に世を去りました。

母ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルは、夫と義兄が残した大量の絵と手紙を抱えて未亡人になりました。彼女はそれを守り、手紙を編集して出版し、展覧会を組織して、ファン・ゴッホの名を世界に知らしめます。今日私たちがこの画家を知っているのは、相当部分が彼女の仕事によるものです。

そしてその子は1978年まで生きました。技師として働きながらコレクションを引き継ぎ、それを国家に託し、1973年にファン・ゴッホ美術館の開館を実現させます。

つまりこの絵は、生まれたばかりの子のために描かれ、その子が作った美術館に掛かっています。

この作品が忘れられない理由

ファン・ゴッホの作品のなかで、この絵は例外的な位置にあります。彼の画面は多くの場合、渦を巻き、うねり、緊張しています。この絵は静止しています。

背景は一様な水色で、遠近も地平線もありません。空とも壁ともつかない面のうえに、枝と花だけが置かれています。

そしてこの枝には幹がありません。どこから伸びてどこで終わるのかが画面の外に切られています。木を描いたのではなく、木の一部を切り取ったのです。この構図の取り方は、彼が数百点を収集していた日本の版画から直接来ています。広重の『大はしあたけの夕立』で橋が画面の両端で切れているのと同じ操作です。

ファン・ゴッホは花の咲いた木を繰り返し描きました。アルルでも、サン=レミでも、春が来るたびに描いています。ただしそれらの多くは風景のなかの木でした。この絵だけが、背景を捨てて枝だけを残しています。

象徴と見どころ

アーモンドが選ばれた理由。南フランスでアーモンドは二月に咲きます。他のどの木よりも早く、まだ寒いうちに花を開きます。新しい命への贈り物としてこれ以上の題材はありません。

枝の黒い線。力強くうねる輪郭線で描かれています。日本の版画の彫り線に対応する要素です。

花。一つ一つが違う角度を向いています。開いたもの、開きかけのもの、つぼみのままのもの。まとめて処理されていません。

青。現在見えている水色は、当初とわずかに異なります。調査により、背景に使われた赤系の顔料が褪色していることがわかっています。時間とともに色が変わった絵です。

そのあとに起きたこと

この絵を仕上げた直後、1890年2月の後半に、ファン・ゴッホはサン=レミ滞在中でもっとも長い発作に見舞われます。約二か月にわたって制作ができませんでした。

回復後、彼はこう書いています。仕事を続けられていたら、花の咲いた木をもっと描けただろう、と。

そして同じ年の7月、彼は世を去ります。

この絵が生まれたのは、彼の人生でもっとも明るい知らせが届いた数日間でした。その前後は暗く、その数日だけが違います。

歴史的背景

ファン・ゴッホは1889年5月、サン=レミ=ド=プロヴァンスのサン=ポール=ド=モゾル療養院に自らの意志で入りました。アルルでのゴーギャンとの共同生活が破綻した後のことです。

彼はそこで一年を過ごし、150点近い作品を描きました。『星月夜』も、アルルの部屋を記憶から描き直した『ベッドルーム』の第二版も、ここで生まれています。

日本美術への傾倒はアルル時代から続いていました。彼はパリで浮世絵を大量に買い集め、南フランスを「日本のような場所」として語っています。実際の日本を見たことはありませんでした。

フィンセント・ファン・ゴッホについて

ファン・ゴッホ(1853~1890)は二十七歳で絵を始め、十年に満たない期間に油彩約900点、素描1,100点以上を残しました。

広く流布している話を一つ訂正しておきます。生前に売れた絵は一枚だけだった、という話です。1890年にアンナ・ボックが『赤い葡萄畑』を購入したのは事実ですが、ファン・ゴッホ美術館はこの「一枚」という数字を根拠のない通説としています。彼は他の作品も売り、あるいは交換していました。

作品が見られる場所

アムステルダムのファン・ゴッホ美術館にあります。ミュージアム広場に面し、アムステルダム国立美術館の隣です。

  • オンラインでの事前予約が事実上必須です。当日券は入手が困難です。
  • 開館直後の時間帯が最も空いています。
  • 同じ美術館に『ひまわり』『黄色い家』『ジャガイモを食べる人々』『花咲くアーモンドの木の枝』などがあります。
  • 混同しやすい点を一つ。『夜のカフェテラス』はこの美術館にありません。オランダのオッテルローにあるクレラー=ミュラー美術館の所蔵です。そして『夜のカフェ』はアメリカのイェール大学美術館にあります。名前の似た別の作品です。
  • 隣のアムステルダム国立美術館にフェルメールの『牛乳を注ぐ女』とレンブラントの『夜警』があります。

この絵の前で最後まで残るのは、明るさではなく時期です。ファン・ゴッホがこれを描いたのは療養院にいた冬の終わりであり、描き終えた直後に二か月間絵が描けなくなり、その五か月後に死にました。彼が生涯でもっとも澄んだ画面を作ったのは、そのあいだの数日でした。

画像: Amandelbloesem – フィンセント・ファン・ゴッホ、1890年2月、ファン・ゴッホ美術館蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.

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