Great Sphinx of Giza by Unknown, 2500 BC

ギザの大スフィンクス – 鼻を壊した人物には名前がある

鼻を壊した人物には名前と年があります。エジプトの歴史家マクリーズィーの記録によれば、1378年、ムハンマド・サーイム・アッダフルというスーフィーの修行者が、農民たちがこの像に供物を捧げて豊作を祈っていることに憤り、顔を破壊しました。彼はこの行為により処刑されています。そしてマクリーズィーは続けて記します。その後、砂が畑を覆い始め、人々はそれを報いと考えた、と。

基本情報

  • 作者: 記録がありません
  • 制作時期: 紀元前2500年頃とされますが、確定していません
  • 技法: 自然の岩盤から直接彫り出したもの。運搬された石材ではありません
  • 寸法: 全長約73m、高さ約20m、幅約19m
  • 芸術運動: 古代美術
  • 所在地: エジプト・ギザ高原。1979年ユネスコ世界遺産登録

建造に関する記録が一つもありません

この像について最初に押さえるべきことがあります。

古王国時代の文書に、この像への言及が存在しません。誰が命じたのか、いつ完成したのか、何と呼ばれていたのか。同時代の記録がないのです。

これはピラミッドと対照的です。ピラミッドについては建設に関わる記録、労働者の集落、供給の痕跡が残っています。

この像だけが、無言で存在しています。

第四王朝のカフラー王の事業とする説が主流です。根拠は、隣接する河岸神殿と参道がカフラーのピラミッド複合体に属すること、そして顔立ちがカフラー像と似ているという印象です。

ただし異説もあります。父のクフ王とする説、兄のジェドエフラー説、さらに大幅に古い年代を提示する説まであります。

決着していません。

そして千年後、この像は王の記念物から神へと変わっていました。新王国時代の人々は、これを「地平線のホルス」を意味するホルエムアケトという神として崇めています。

鼻はどう壊されたのか

鼻が失われた理由として、ナポレオン軍の兵士が大砲の標的にしたという話がよく語られます。しかしこれは事実ではありません。デンマークの探検家フレデリク・ルイ・ノルデンが1737年にギザを訪れて描いたスケッチに、すでに鼻のない姿が残っているからです。ナポレオンのエジプト遠征(1798年)の六十年前のことです。エジプト考古学者ザヒ・ハワスも、ナポレオンは鼻の破壊とは何の関係もないと明言しています。

顔をよく観察すると、鼻のあった部分には、棒や鑿を差し込んで意図的にこじ取ったような痕跡が見られます。多くの専門家は、偶然の風化ではなく鑿による人為的な破壊だったと考えています。冒頭のマクリーズィーの記録は、その犯人を名指しした唯一の文献です。有名な名所についての「誰もが知っている話」が後世の作り話だった例は、教科書が印刷された後に判明した、名画についての新発見でも取り上げています。

頭が小さすぎます

この像を正面から見ると、頭部が胴体に比して小さく感じられます。

ライオンの体は巨大ですが、その上に載る人頭は、比率の上で釣り合っていません。

これについては二つの説明があります。

一つは、もとはライオンの頭だったとするものです。後の時代に人頭へ彫り直され、その際に小さくなったという説明ですが、これは少数意見にとどまっています。

もう一つは、石灰岩の層の問題です。この岩盤は硬さが均一ではなく、頭部にあたる部分だけが硬い層でした。そのため頭部は保存状態がよく、柔らかい層でできた胴体は著しく侵食されています。

近くで見ると、胴体に水平の縞が走っているのがわかります。これは岩盤の地層です。

顎鬚は後から付けられ、ロンドンとギザに分かれました

この像にはかつて、編み込まれた儀礼用の顎鬚がありました。ただし、それはもとからのものではありません。

大英博物館によれば、この編み込みの顎鬚は、砂を取り除いて像を修復したトトメス4世の時代に付け加えられた可能性が高いとされます。先端が反り返ったその形は、王ではなく神の顎鬚の特徴でした。カフラー王の時代の顎鬚があったとすれば、王の印であるまっすぐな形だったはずです。像が神として崇められるようになった時代に、顎鬚もまた神のものに作り替えられたのです。

その顎鬚もやがて剥落し、破片となって前足のあいだに埋もれていました。1817年、イタリア人のジョヴァンニ・バッティスタ・カヴィリアが発掘作業を行い、その破片の一部を持ち出します。

現在、顎鬚の一片はロンドンの大英博物館にあり、エジプト彫刻の展示室で公開されています。残りの破片はエジプトに残り、いまはギザの大エジプト博物館に収められています。

エジプト政府は返還を求めてきました。

三度、砂から掘り出されました

この像は繰り返し砂に埋もれました。ギザ高原は砂丘の移動する場所であり、体の部分は数十年で首まで埋まります。

一度目。紀元前1400年頃、トトメス4世によるものです。前足のあいだに立つ「夢の碑」がその経緯を語っています。

王子だったトトメスが狩りの途中、この像の影で眠りました。夢のなかで神が現れ、砂を除けてくれれば王位を与えると告げます。彼は掘り出し、王となり、その顛末を石碑に刻んで足元に立てました。

これは記録に残る最古の発掘作業です。

二度目。ローマ時代に再び整備されました。

三度目。19世紀以降、断続的に作業が行われ、1925年から1936年にかけてエミール・バレーズが指揮した作業で、ようやく全身が露出しました。

つまり、この像の全体を見ることができるようになったのは、百年も経っていません。

色がありました

現在は石灰岩の色ですが、もとは彩色されていました。

顔には赤の顔料、ネメス頭巾には青と黄の痕跡が残っています。とりわけ耳の周辺で確認しやすいとされます。

当時のギザ高原は、白い石灰岩に覆われたピラミッドと、彩色された巨像が並ぶ場所でした。今日の砂色の風景とは相当に違います。古代の彫刻が本来は色鮮やかだったことは、ギリシャの『ミロのヴィーナス』や、2014年の修復で翼に青い彩色の痕跡が見つかった『サモトラケのニケ』にも共通しています。

見どころ

ネメス。頭部を覆う縞模様の頭巾です。王の標識であり、この像が単なる怪物ではなく王権を表すことを示しています。

ウラエウス。額にはコブラの意匠がありました。現在は破損しています。

前足のあいだ。トトメス4世の夢の碑が立っています。高さ3.6メートルの花崗岩です。

尾。後ろへ回ると、体に沿って巻かれた尾が彫られています。正面からの写真では見えません。

東を向いています。日の出の方向です。太陽神への志向と解釈されます。

修復が損傷を招いたことがあります

この像は繰り返し修復されてきました。最も古い修復は古代エジプト時代のものです。

ただし20世紀の作業には失敗がありました。

1980年代の修復で、現代のセメント系材料が使われました。石灰岩とセメントは膨張率と透水性が異なります。結果として、内部に水分と塩分が蓄積しました。

1988年、右肩の一部の石材が崩れ落ちました。

この事故を受けて方針が見直され、1990年代以降は石灰岩に近い材料を用いる方法へ切り替えられています。

作った人たちについて

名前は残っていません。古代エジプトにおいて、工人が作品に署名する慣行はありませんでした。

ただし労働の実態についてはわかってきています。1990年代以降の発掘により、ギザ高原の南東に労働者の集落と墓地が発見されました。

そこからは食事の痕跡、医療を受けた形跡のある骨、そして労働者の墓が出ています。ピラミッド建設が奴隷労働によるものだったという通説は、これらの発見によって否定されています。

働いていたのは、報酬と食料と医療を受ける、組織された労働者でした。

遺産と影響

ギリシャ神話のスフィンクスは、この系譜から派生したものです。ただし性格が変わり、謎かけをして答えられない者を殺す怪物になりました。

ヨーロッパのバロック庭園には装飾としてのスフィンクス像が流行しました。

そして19世紀のエジプト学の成立とともに、この像は「謎」の視覚記号になります。

古代の巨大建造物が、その後の人間によって削られ、持ち去られ、別の目的に使われてきたという点で、この像はローマのコロッセオとよく似た運命をたどりました。

日本では?

スフィンクスを見に行く日本人にとって、もう一つ見逃せない場所があります。日本が建設を支えた大エジプト博物館(GEM)です。

この博物館は2025年11月1日に全面開館しました。三大ピラミッドから約2キロの場所にあり、古代エジプトの文化財10万点以上を収蔵する、単一の文明を扱う博物館としては世界最大級の施設です。総工費は1,500億円を超え、そのうち842億円を日本が円借款で供与しました。

日本の協力は建物だけではありません。国際協力機構(JICA)は、ツタンカーメンの黄金の寝台をはじめとする貴重な遺物の保存修復、エジプト人専門家の育成、展示や運営の支援まで、長年にわたって関わってきました。東京藝術大学などの専門家も壁画の修復に加わっています。さらに、クフ王のピラミッドの脇から見つかった二隻目の木造船「第二の太陽の船」の復原にも、日本の技術と支援が注がれています。

そしてこの博物館には、スフィンクスの顎鬚の破片も収められています。像から剥がれ落ち、一部はロンドンへ渡った顎鬚の、エジプトに残った側の断片です。日本が建てた建物のなかに、スフィンクスの一部が眠っていることになります。

館内には日本語の解説文やオーディオガイドも整備されています。ツタンカーメンの黄金のマスクや「太陽の船」を見たあとで、スフィンクスとピラミッドを訪ねる。日本からの旅行者にとって、これほど自然な順路はありません。

作品が見られる場所

エジプト・ギザ高原にあります。カイロ中心部から車で30~40分です。

  • ギザのピラミッド地区の入場券で見学できます。スフィンクス周辺には専用の展望区域があります。
  • 早朝がおすすめです。開門直後は人が少なく、光も東からの順光になります。
  • 訪問しやすい時期は10月から4月です。夏の日中は40度を超えます。
  • 入場料と開門時間は変更されることがあるため、事前にご確認ください。
  • 敷地内では客引きが多く、ラクダや馬に乗るよう強く勧められます。料金は事前に明確にしてください。

大エジプト博物館はギザ高原のすぐ近くにあります。展示が膨大なため、少なくとも半日は見込んでください。入館方法と料金は公式サイトでご確認ください。

そして顎鬚のもう一つの破片を見るにはロンドンへ行くことになります。大英博物館のエジプト彫刻の展示室にあります。

この像の前で最後まで残るのは、記録がないことです。誰が命じ、誰が彫り、何と呼ばれていたのか、当時の文字は一つも残していません。私たちが知っているのは、後の時代の人々が砂を掘り、顎鬚を付け足し、顔を壊し、それを持ち去ったことだけです。

画像: Great Sphinx of Giza、ギザ高原、エジプト。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.

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