霧の海の上の旅人 – この風景は存在しない
この風景は存在しません。比喩ではなく事実です。フリードリヒはエルベ砂岩山地を何年にもわたって歩き、現地でスケッチを集め、ドレスデンのアトリエでそれらを組み合わせて、実際にはどこにもない場面を作りました。今日の研究者は、この画面の各部分がどの山や岩から来たのかまで特定しています。
基本情報
- 作者: カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774~1840)
- 制作時期: 1817年頃(ハンブルガー・クンストハレの表記。1818年頃とする資料もあります)、ドレスデン
- 技法: 油彩・カンヴァス
- 寸法: 94.8 × 74.8 cm
- 芸術運動: ロマン主義
- 所蔵先: ハンブルガー・クンストハレ(ハンブルク美術コレクション財団の所有、1970年収蔵)
組み立てられた風景
フリードリヒの制作は二段階でした。まず野外で精密な鉛筆スケッチを描きます。次にアトリエへ戻り、時期も場所も異なるスケッチを一つの画面へ組み立てます。絵が頭のなかで完全に整理されるまで、筆を執りませんでした。
この作品の各部分は、ドレスデン南東のザクセン・スイス地方に実在する場所と結びつけられています。
- 人物が立っている岩 — カイザークローネと呼ばれる卓状の山の岩場とされます。
- 右手遠くにそびえる垂直の柱 — エルベ川を見下ろす卓状の山ツィルケルシュタインです。かなり正確に描かれています。
- その手前の岩の群れ — ラーテン近くのガムリヒです。
- 左奥の山 — ボヘミアのローゼンベルクか、カルテンベルクのどちらかとされますが、研究者の意見は分かれています。
フリードリヒ自身の言葉がこの方法を説明しています。画家は目の前にあるものだけでなく、自分の内に見えるものも描かねばならない、というものです。
これを知って見ると、この絵の性格が変わります。特定の場所で特定の瞬間を目撃した記録ではなく、いくつもの時間と場所を重ねて作った構成物です。画面のなかの男が見ているのは実在する風景ではなく、画家が建てた風景です。実在する名所の記録だと長く信じられてきた絵が、実は複数の場面を合成したものだった——こうした「教科書の後に判明した」種類の事実は、ほかの名画にもあります。教科書が印刷された後に判明した、名画についての新発見にまとめています。
この作品が忘れられない理由
画面中央の男は背を向けています。美術史ではこうした人物をリュッケンフィグーア(Rückenfigur)と呼びます。フリードリヒが繰り返し用いた装置であり、この絵の人物は、美術史でもっとも有名なリュッケンフィグーアと言えるでしょう。
効果は明確です。表情が見えないので感情が読めず、代わりに鑑賞者がその場所に立つことになります。私たちは彼を見るのではなく、彼と同じところを見ます。鑑賞者を画面の主題の内側へ引き込むこの構造は、神経科学の実験でも裏づけられています。もっとも心を動かす絵を見るとき、脳は対象を「外の物」として処理するのをやめ、自分自身について考えるときの回路を働かせる——この点については名画は脳に何をするのかで詳しく取り上げています。
この絵が扱う感覚を美学では崇高と呼びます。美が調和と均衡なら、崇高は圧倒されることです。対象が大きすぎ、無限すぎて把握できないときに生じる感情であり、恐れと高揚が混ざっています。
人物は誰なのか
確定していません。
美術史家ジョゼフ・コーナーは、この人物をプロイセンの義勇兵だったフリードリヒ・ゴットハルト・フォン・ブリンケン大佐と見る説を唱えました。ナポレオンからの解放戦争のさなか、1813年から1814年にかけて戦死した可能性のある人物です。人物が着ている濃い緑の外套を、当時の義勇部隊の軍服と見る解釈に基づいています。この読み方に従えば、この絵は風景画ではなく追悼画になります。ただし、この説も確かめられてはいません。
フリードリヒ自身の自画像とする見解もあります。風になびく赤みがかった髪の色が根拠として挙げられます。
どちらも証明されておらず、人物の匿名性はこの絵が機能する条件でもあります。
見どころ
服装。濃い緑の外套、暗色のズボン、膝までのブーツ、右手の杖。散歩ではなく山行の装いです。
霧。谷を満たした白い霧が水のように見えるため、「霧の海」という題がつきました。尾根や木々や山々が、その霧のなかから突き出しています。
大気遠近。手前の岩は暗く鮮明で、遠ざかるほど白く霞みます。距離を色の密度で作っています。遠くの木々がわずかに小さすぎるため、ツィルケルシュタインの岩は実際以上に遠く見えます。
光源の不在。空は明るいのに太陽が見えません。この拡散した光が時刻を特定できなくしています。
大きさ。縦95センチほどで、壁を圧倒する大作ではありません。この絵が抱えている空間の広がりを考えると、実物は意外に小さく感じられるはずです。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒについて
フリードリヒ(1774~1840)はバルト海沿岸のグライフスヴァルトに生まれました。十三歳のとき氷が割れて水に落ち、兄ヨハン・クリストッファーが彼を引き上げたのち、自身は溺死しました。この出来事は彼の作業全体に影を落としています。
1800年頃ドレスデンへ移り、周辺地域を歩いて踏査しながらスケッチを集めました。彼にとって自然は背景ではなく、超越的なものが現れる場所でした。
ドイツとロシアの一部の人々には敬意を払われていましたが、没後その名声は崩れ、1906年のベルリンでの大規模な回顧展で再発見されるまでほとんど忘れられていました。本格的に復権したのは20世紀半ば以降です。
空白の百二十年
この絵が今日ロマン主義を代表するイメージになったのは、比較的最近のことです。
制作されてから約百二十年のあいだ、この絵が誰の手にあったのかはわかっていません。記録に現れるのは1939年、ベルリンの画商ヴィルヘルム・アウグスト・ルーツの画廊が最初です。その後、1950年代にはビーレフェルトのエトカー家のコレクションに入り、1970年、シュトゥットガルトの画廊から、ハンブルク美術コレクション財団が購入しました。前年に館長に就任したヴェルナー・ホフマンが、財団を説得して実現させた購入です。この空白とナチス時代をめぐる来歴については、ハンブルガー・クンストハレが近年あらためて調査を行っています。
そして1970年代から、このイメージは爆発的に広まりました。哲学書と歴史書の表紙、アルバムジャケット、広告、映画ポスターに繰り返し使われ、いまや世界でもっとも多く書籍の表紙になった絵の一つに数えられます。出典を示さずに使われる例も多くあります。
人物を後ろから見せて広大な風景の前に立たせる構図は、いまや一つの視覚的慣用句になりました。
遺産と影響
同時代のヨーロッパのロマン主義画家と並べると違いが見えます。ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』が歴史的事件と群衆を扱ったとすれば、フリードリヒは一人と沈黙を扱いました。ターナーの『ファイティング・テメレール』とはむしろ近い位置にあります。二人とも自然を人間より大きく描きました。
2024年のフリードリヒ生誕250年には、ハンブルク、ベルリン、ドレスデンで大規模な回顧展が続き、2025年にはニューヨークのメトロポリタン美術館で、アメリカ初となる本格的なフリードリヒ展も開かれました。
日本では?
この絵がスケッチの組み立てでできていることを、日本で実感できる機会がありました。2003年、東京・上野の国立西洋美術館で開かれた「ドイツ・ロマン主義の風景素描」展です。ドレスデン版画素描館の所蔵品から、フリードリヒらの風景素描が紹介されました。開館から44年目にして、同館が初めてドイツ・ロマン主義の美術に焦点を当てた展覧会でした。彼らにとって「素描すること」こそがもっとも重要な活動だった、という展覧会の視点は、まさにこの絵の作られ方そのものを言い当てています。
2005年には同じ国立西洋美術館で、「ドイツ・ロマン主義の誕生の地」ドレスデンの国立美術館のコレクションを紹介する展覧会が開かれています。そして2022年、改修を終えて再開館した国立西洋美術館の記念展「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」では、ドイツ・エッセンのフォルクヴァング美術館と協働し、フリードリヒの名が展覧会の題に掲げられました。フォルクヴァング美術館と国立西洋美術館は、ともに同時代の個人コレクション、オストハウスと松方幸次郎の収集から生まれた美術館です。
『霧の海の上の旅人』そのものに会うには、ハンブルクへ行く必要があります。
作品が見られる場所
ドイツ・ハンブルクのハンブルガー・クンストハレにあります。ハンブルク中央駅のすぐ近くです。
この美術館はフリードリヒ作品を世界でもっとも豊富に所蔵する館の一つです。この一点だけを見て出るには惜しい場所であり、ルンゲ、メンツェル、リーバーマンなど、19世紀ドイツ絵画の流れをたどることができます。
開館時間と料金は変動するため、訪問前に公式サイトでご確認ください。そしてこの作品は貸出展に出ることがあります。この絵を目的にハンブルクへ行かれる場合は、現在の所在を事前にご確認いただくほうが安全です。
付け加えると、絵のなかの場所には実際に行くことができます。ドレスデン南東のザクセン・スイス国立公園に、カイザークローネもガムリヒもツィルケルシュタインもあります。ただしそのいずれからも、この絵と同じ光景は見えません。個々の断片は実在しますが、全体はそうではないのです。
この絵の前で最後まで残るのは、孤独ではなく組み立てです。私たちが自然の前に立つ人間の真実の瞬間だと信じているこの場面は、実際には何年もかけて集めたスケッチをアトリエで継ぎ合わせたものです。フリードリヒが描いたのは彼が見た風景ではなく、そのような瞬間があるとすればどのような姿かについての、彼の答えです。
画像: Der Wanderer über dem Nebelmeer – カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、1817年頃、ハンブルガー・クンストハレ蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.
