祈りの手 – 同じ紙には頭部も描かれていた
この素描はペン画ではありません。青く下塗りした紙に、筆で黒と白のインクを置いたものです。デューラーがヴェネツィア滞在中に学んだ技法で、青い地が中間の調子を担うため、そこから暗いほうへも明るいほうへも同時に描き進めることができます。線を刻んで陰影を作るのではなく、面を置いて立体を出す方法です。この一点が、この作品の質感を決めています。
基本情報
- 作者: アルブレヒト・デューラー(1471~1528)
- 制作年: 1508年
- 技法: 青地の紙に筆、黒と白のインク
- 寸法: 29.1 × 19.7 cm
- 用途: 『ヘラー祭壇画』のための習作
- 芸術運動: 北方ルネサンス
- 所蔵先: アルベルティーナ美術館(ウィーン)
この紙にはもう一つ絵がありました
今日、私たちはこの両手を独立した作品として見ています。しかしこれは、より大きな紙の一部です。
同じ紙には、同じ使徒の頭部を描いた素描がありました。紙は後に分割され、両手だけが単独で流通するようになります。
そしてこの一枚は連作の一部でもありました。ヘラー祭壇画のために、デューラーは同じ青地の紙に同じ筆の技法で、頭部、足、衣の襞など十八点の習作を残しています。これはその一枚です。
つまりこの素描は、独立した祈りの表現として構想されたものではなく、大作の一部品を作るための作業でした。
この手が入るはずだった絵
1507年、フランクフルトの毛織物商ヤーコプ・ヘラーが、デューラーに大型の祭壇画を注文しました。中央には聖母被昇天が描かれ、その下部に地上を見上げる使徒たちが配置される構成です。
この両手は、その使徒の一人のものでした。
ところが、この祭壇画をめぐるデューラーとヘラーの関係は、決して穏やかなものではありませんでした。往復書簡が残っており、そこで彼はこう書いています。これほど手間のかかる仕事は、誰に頼まれても二度と引き受けない。この注文では損をする。今後は版画に専念する。もっと早くそうしていれば、今ごろ千フローリン豊かだっただろう。
敬虔な集中の象徴として世界中で複製されているこの素描は、報酬をめぐって揉め、本人が後悔した仕事の一部です。
祭壇画はどうなったか
完成した中央パネルは、1613年にバイエルン公マクシミリアン1世に売却されました。フランクフルト側は、売却前にヨープスト・ハリッヒによる模写を作らせ、それを手元に残します。
そして1729年、ミュンヘンの宮殿の火災でデューラーの原画は焼失しました。
残ったのはハリッヒの模写です。現在フランクフルトの歴史博物館にあり、この両手が本来どのような場面のどの位置にあったのかを知る唯一の手がかりになっています。
原画は失われ、習作だけが残りました。
象徴と見どころ
青地の効果。紙そのものが中間調です。そこに白で光を、黒で影を置いています。手が暗がりから浮かび上がって見えるのはこのためです。
指の観察。関節の皺、爪の形、皮膚の張り、指先のわずかな血色の変化までが追われています。理想化された手ではなく、特定の誰かの手です。
左右の非対称。両手は完全には揃っていません。わずかにねじれ、片方が少し前に出ています。この不一致が、この手を記号ではなく実在するものにしています。
袖口。手首から先の衣の襞が丁寧に描かれています。この部分があることで、手が身体の一部であることが示されます。
モデル。誰の手かは特定されていません。デューラー自身の手とする説もありますが、鏡を使ってこの角度を描くのは困難であり、根拠は薄いとされます。工房の助手の手という見方が一般的です。
兄弟の伝説について
この作品には有名な物語が付いています。デューラーと兄弟のどちらかが鉱山で働いて学費を稼ぎ、そのために手が壊れて絵を描けなくなった、その手を描いたのがこの素描だ、というものです。
これは事実ではありません。デューラー自身の記録にも、同時代の資料にも、そのような話は存在しません。19世紀から20世紀にかけて作られ、宗教的な出版物を通じて広まった創作です。
実際の来歴は先に述べたとおり、注文仕事のための習作です。
アルブレヒト・デューラーについて
デューラー(1471~1528)はニュルンベルクに金細工師の子として生まれました。父の工房で金属を彫る技術を身につけたことが、後の版画の精度につながります。
二度のイタリア旅行で遠近法と人体比例の理論を学び、それを北方の精密な観察と結びつけました。この素描の技法も、ヴェネツィアで得たものです。
版画では『メランコリアⅠ』を含む三大傑作を残し、1500年の自画像では画家という職業の地位そのものを問い直しました。
遺産と影響
この素描は、おそらく世界でもっとも多く複製された美術作品の一つです。額装された印刷物、彫像、墓碑、装身具、タトゥー。デューラーの名前を知らない人が、この図像だけは知っているという状況が生まれています。
とりわけ20世紀のアメリカで、キリスト教関連の商品を通じて爆発的に普及しました。
その結果、逆説が生じています。あまりに広く複製されたために、これが16世紀初頭の特定の祭壇画のための一部品であり、青い紙に筆で描かれたものであり、報酬をめぐる紛争のなかで生まれたという事実が、ほとんど語られなくなりました。
作品が見られる場所
ウィーンのアルベルティーナ美術館にあります。国立オペラ座から徒歩五分ほどの場所にあり、世界最大級の素描版画コレクションを持つ館です。
ただし、常設展示はされていません。紙と水性インクの作品は光に極めて弱く、展示すれば確実に劣化します。この作品が公開されるのは、企画展の機会に限られ、その頻度は高くありません。
したがってこの作品を目的にウィーンへ行くことはおすすめしません。訪問を検討される場合は、必ず事前にアルベルティーナの公式サイトで展示予定をご確認ください。
同館は常設展示として近代絵画のコレクションを公開しており、デューラーの他の素描の複製や関連資料が展示されることもあります。
そして、この作品に関してはオンラインでの鑑賞が実物に劣りません。高解像度画像であれば、青地の上の白い筆致がどこに置かれているかを、実物より近くで確認できます。
徒歩圏内にウィーン美術史美術館があり、そちらにはブリューゲルの『雪中の狩人』と『バベルの塔』があります。
この素描の前で最後まで残るのは、信仰ではなく仕事です。デューラーはこの手を、注文された祭壇画の一部として、締切と報酬について揉めながら描きました。その祭壇画は焼け、頭部を描いた紙の片割れは切り離され、残った両手だけが五百年のあいだ複製され続けています。
画像: Betende Hände – アルブレヒト・デューラー、1508年、アルベルティーナ美術館蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.
