Self-Portrait by Albrecht Dürer, 1500

自画像 – 着てはいけない服を着た肖像

この絵のデューラーは、着てはいけない服を着ています。当時のニュルンベルクには服装令があり、毛皮で縁取った外套は都市貴族に許された装いでした。金細工師の息子である彼には、その資格がありません。彼は自分に許されていない衣服を身につけた姿で、自分を描きました。

基本情報

この作品が忘れられない理由

西洋絵画において、人物を厳密に正面から描く構図は、キリストと聖人のために留保されていました。世俗の人物は斜めから描かれるのが通例です。

デューラーはこの絵で、その規則を破りました。正面を向き、視線をまっすぐ観者に向け、右手を胸の前に上げています。この手の形は、祝福を与えるキリスト像の型に近いものです。背景は漆黒で、空間の手がかりがありません。

要素を一つずつ取れば、それぞれに別の説明が可能です。しかし全部が揃うと、意図は明らかになります。

この構図が何を主張しているのかについては、二つの読み方があります。一つは、芸術家は神の創造行為を模倣する者であるという主張です。もう一つは、キリストに倣うという当時のキリスト教的な思想の表明であり、傲慢ではなく信仰の表現だとする読み方です。

どちらであれ、1500年のドイツで画家が自分をこう描いたという事実の重さは変わりません。

服装令を破った肖像

冒頭に述べた点は、この絵を理解するうえで重要です。

16世紀初頭のニュルンベルクには、身分ごとに着てよい衣服を定めた条例がありました。素材、色、装飾、毛皮の使用が階層別に規定されていたのです。

デューラーの父は金細工師でした。手工業者の家系であり、彼が描いた毛皮縁の外套は、その階層に許されるものではありませんでした。

つまりこの絵は、二重の逸脱をしています。キリストの図像形式を借りたことと、自分の身分を超えた服装で自分を提示したことです。

芸術家は職人ではない。デューラーが生涯をかけて主張したことが、ここに凝縮されています。

銘文を正確に読む

画面右側に記されたラテン語は、次のように読みます。

Albertus Durerus Noricus ipsum me propriis sic effingebam coloribus aetatis anno XXVIII

ノリクス(ニュルンベルクの)アルブレヒト・デューラーである私は、二十八歳のとき、自分自身の色でこのように自分を描いた——という意味です。

この propriis coloribus という語句には二重の意味があります。自分の絵具で、という意味と、自分自身の色すなわち肌の色で、という意味です。ラテン語の慣用として「本来の姿で」という含意も持ちます。

左側には彼のモノグラム「AD」と制作年「1500」が記されています。

顔は作図されています

この絵は鏡を見て写生したものではありません。

顔の幅は画面の幅のちょうど三分の一に置かれ、両目は画面を上下に二分する線の上に来ます。頭部全体が幾何学的な比例のなかに収まるよう構成されています。

デューラーは人体比例の理論書を著した人物です。彼にとって顔は、観察の対象であると同時に作図の対象でした。

髪も同様です。1498年の自画像と比べると、この絵の巻毛ははるかに規則的です。実際の髪をそのまま描いたのではなく、整えられています。

そして手を見てください。右手は胸の前で外套の縁に触れています。祝福の型に似ていますが、同時に毛皮に触れる手でもあります。指は細く、爪まで描き込まれています。画家の手であり、職人の手でもあります。

歴史的背景

1500年という年そのものが、この絵の一部です。当時のヨーロッパでは世紀の変わり目に終末論的な期待と不安が高まっており、この年を特別視する空気がありました。

デューラーは1494年と1505年の二度、イタリアへ旅しています。この絵はその中間期の作です。イタリアでは画家がすでに知的職業として遇されており、レオナルドやミケランジェロが宮廷で活動していました。ドイツで画家は依然として同業組合に属する手工業者でした。

この落差が、彼の生涯の主題になります。

なお、これは油彩による三点目にして最後の独立した自画像です。1493年のもの(ルーヴル)、1498年のもの(プラド)に続きます。ただし彼はこれ以降も、自作の宗教画のなかに自分を描き込み続けました。『万聖節の祭壇画』では画面下部に立ち、自分の署名を記した紙を掲げています。

アルブレヒト・デューラーについて

デューラー(1471~1528)はニュルンベルクに生まれ、父の工房で金属を彫る技術を身につけました。この訓練が、後の版画の精度につながります。

版画では『メランコリアⅠ』を含む三大傑作を残し、素描では『祈りの手』のような習作を大量に描きました。

遠近法と人体比例に関する理論書も著しており、画家が理論を書くという行為自体が、当時としては地位の主張でした。

この絵がたどった道

この絵はデューラーの死まで彼の手元にありました。

その後、ニュルンベルク市が画家の家からこれを取得し、市庁舎に掲げます。取得の経緯は完全には明らかではなく、未亡人の同意があったかどうかについても議論があります。

市はこの絵を手放す前に模写を作らせ、市庁舎にはその模写を残しました。

1805年、絵は他の作品との交換によりミュンヘンへ移り、現在に至ります。

遺産と影響

この作品は、画家が自分自身を主題として提示するという実践の起点の一つです。以後、レンブラントが生涯にわたって自分を描き続け、ファン・ゴッホが三十点を超える自画像を残す流れが生まれます。

ただしデューラーがしたことは、単に自分を描くことではありませんでした。彼が問うたのは、画家という存在が社会のどこに位置するかという問題です。その問いは、現代の作家たちも同じ形で抱えています。

作品が見られる場所

ミュンヘンのアルテ・ピナコテークにあります。

  • 最寄りはUバーンのケーニヒスプラッツ駅、またはトラムのピナコテーク停留所です。
  • 休館日は月曜です。開館時間と料金は変更されることがあるため、訪問前に公式サイトでご確認ください。
  • 日曜日は入場料が大幅に安くなりますが、その分混雑します。ゆっくり見るなら平日午前をおすすめします。
  • 同じ館にデューラーの『四人の使徒』、そしてルーベンス、ラファエロ、レオナルドの作品があります。
  • 隣接するノイエ・ピナコテークとピナコテーク・デア・モデルネと合わせて、美術館地区として一日かけて回れます。

この絵は近づいて見る価値があります。毛皮の一本一本、髪の巻き、瞳のなかの光の点は、離れると見えません。

この絵の前で最後まで残るのは、視線ではなく主張です。デューラーはキリストの構図を借り、着る資格のない服を着て、自分の顔を幾何学で組み立てました。二十八歳の画家が、自分は職人ではないと言うために、これだけのことをしています。

画像: Selbstbildnis im Pelzrock – アルブレヒト・デューラー、1500年、アルテ・ピナコテーク蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.

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