The Calling of Saint Matthew by Caravaggio, 1600

聖マタイの召命 – この光には光源がない

この絵を照らしている光には、光源がありません。画面奥の窓は膜が張られていて、ほとんど光を通していません。強い光は右手の画面外から差し込んでいます。そして礼拝堂で実際にこの絵の前に立つと、本物の窓が同じ側にあります。カラヴァッジョは、絵のなかの光の向きを、その絵が掛かる部屋の光の向きに合わせました。

基本情報

二十八歳の初仕事

1599年、カラヴァッジョは二十八歳で、それまで公共の大型注文を一度も受けたことがありませんでした。個人の邸宅に飾る小さな作品を描く画家でした。

コンタレッリ礼拝堂の装飾は、フランス人枢機卿マッテオ・コンタレッリの遺言に基づく事業です。彼は1585年に亡くなっており、装飾は長く進んでいませんでした。

契約は1599年7月23日、納品は1600年7月4日です。一年です。

そしてこの二枚——この作品と向かいの『聖マタイの殉教』——が公開された瞬間、ローマの画壇が変わりました。カラヴァッジョは数か月で無名の画家から最も注目される画家になります。

誰がマタイなのか

この絵に関する最大の議論です。

髭の老人説。テーブル中央で髭を生やした男が、指で自分の方向を示しています。長年これがマタイとされてきました。

若者説。ところが彼の指の向きをよく見ると、自分ではなく左隣の若者を指しているようにも読めます。その若者はコインに顔を伏せ、呼びかけに気づいていません。この読み方に従えば、老人は「こいつのことですか」と尋ねていることになります。

そして若者説には、もう一つの根拠があります。向かいの壁の『聖マタイの殉教』に描かれたマタイは、老人ではありません。同じ礼拝堂の二枚で人物が一致しないのは不自然です。

決着はついていません。そしてこの曖昧さがこの絵を成立させています。呼ばれた人物が特定できないことで、鑑賞者は画面を探すことになります。

キリストの手

画面右、影のなかからキリストが手を伸ばしています。

この手の形には出典があります。ミケランジェロの『アダムの創造』です。ただし引用されているのは神の手ではありません。アダムの手のほうです。指先が力なく垂れた、まだ生命を受け取っていない手です。

しかもそれが左右反転して用いられています。

神学的な含意は明確です。キリストは「新しいアダム」であり、システィーナ礼拝堂で創造が起きたのと同じ身振りで、ここでは召命が起きています。

そしてペトロは後から描き加えられました。技術調査により、当初この場面にペトロはおらず、キリストが一人で立っていたことがわかっています。ペトロの追加は、キリストと徴税人たちのあいだに仲介者を置くための変更と考えられています。

象徴と見どころ

二つの時代が同じ部屋にいます。テーブルの男たちは16世紀末のローマの服装をしています。膨らんだ半ズボン、羽根飾りの帽子、腰の短剣、レースの襟。一方キリストとペトロは裸足で、一世紀の衣をまとっています。

カラヴァッジョは聖書の場面を過去として描きませんでした。彼が描いたのは、この出来事が今日のローマの居酒屋で起きたらどう見えるか、です。

テーブルの反応。四人の男がそれぞれ違う状態にあります。コインを数え続ける者。眼鏡越しに金を凝視する者。振り返る者。剣に手をかけて身構える若者。信仰への呼びかけに対する人間の反応が、四通り並んでいます。

光の帯。右上から斜めに走る光が、キリストの手と、指された人物の顔を結びます。それ以外はすべて影です。

足元は見えません。画面下部は暗く沈んでおり、テーブルの脚も床も判別できません。空間の実体が曖昧なままです。

歴史的背景

1600年前後のローマは対抗宗教改革の只中にありました。教会は信仰を感情に訴える絵画を必要としており、その要請にカラヴァッジョは誰も予想しない方法で応えます。

彼は聖人を理想化しませんでした。街で見つけた人物をモデルにし、汚れた足の裏や皺だらけの顔をそのまま描きました。この方針のために、いくつかの作品は受け取りを拒否されています。

この作品が完成した1600年は、哲学者ジョルダーノ・ブルーノがカンポ・デ・フィオーリで火刑に処された年でもあります。ローマは信仰をめぐって緊張していました。

カラヴァッジョについて

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571~1610)はミラノ近郊に生まれ、二十歳前後でローマに出ました。

この礼拝堂の仕事で名声を得た後、彼は数年で多数の大作を描きます。『ホロフェルネスの首を斬るユディット』もこの時期です。

1606年、テニスの試合をめぐる争いからラヌッチョ・トマゾーニを殺害し、死刑判決を受けてローマを離れました。ナポリ、マルタ、シチリアを転々とし、1610年、赦免を求めて戻る途上に死去しています。三十八歳でした。

遺産と影響

この作品が確立した光の扱いは、ヨーロッパ全域に広がりました。追随者たちは「カラヴァッジェスキ」と呼ばれます。

その系譜の北端にレンブラントの『夜警』があります。光源が特定できない強い光で人物を照らし出すという方法は、この礼拝堂から出発しました。

映画への影響も大きく、マーティン・スコセッシは自作の照明がカラヴァッジョに由来すると繰り返し述べています。

作品が見られる場所

ローマのサン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂、コンタレッリ礼拝堂にあります。入場は無料です。

  • 礼拝堂は暗いままです。照明は点灯操作が必要で、多くの場合コイン投入式か有料のボタン式です。硬貨を用意しておくことをおすすめします。ただし運用は変更されることがあり、無料点灯やセンサー式に切り替わっている場合もあります。
  • 同じ礼拝堂に『聖マタイの殉教』と『聖マタイと天使』があります。三点で一つの仕事です。この作品だけ見て出ると半分しか見ていないことになります。
  • 右側から見てください。この絵は礼拝堂に入って左の壁にあり、正面からではなく斜めから見ることを前提に構成されています。
  • ミサや典礼の時間帯は拝観できません。訪問前に聖堂の公開時間をご確認ください。
  • ナヴォーナ広場とパンテオンが徒歩数分です。

ローマではカラヴァッジョを無料で見られる教会が他にもあります。サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂とサンタゴスティーノ聖堂です。三か所を一日で回ることができます。

この絵の前で最後まで残るのは、光がどこから来ているかという問題です。窓は塞がれています。画面のなかに光源はありません。それでも部屋の右側から強い光が入り、一人の男の顔を照らします。そして実際の礼拝堂でも、光は同じ側から入ってきます。

画像: Vocazione di san Matteo – カラヴァッジョ、1599~1600年、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂(ローマ)。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.

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