Saturn Devouring His Son by Francisco Goya, 1823

我が子を喰らうサトゥルヌス – 今見えているのは描き直された絵

いま見えているこの絵は、ゴヤが描いたものと同じではありません。1874年、壁から剥がしてカンヴァスに移す作業が行われた際、修復家サルバドール・マルティネス・クベルスが広い範囲を描き直しました。作業前に撮影されたジャン・ロランの写真が残っており、現状と比較できます。そこにはいま存在しない描写が写っています。サトゥルヌスは勃起した状態で描かれていたように見えるのです。

基本情報

食堂に掛かっていました

この絵が描かれた場所は、居間でも書斎でもありません。食事をする部屋です。

ゴヤは1819年にマドリード郊外の農家を買いました。前の所有者が聴覚障害者だったことから「聾者の家(キンタ・デル・ソルド)」と呼ばれていた建物です。ゴヤ自身も既に完全に聴力を失っていました。

彼はその家の壁に、直接、十四点の絵を描きます。誰かに見せるためではありません。注文でも、売り物でもありませんでした。

一階の食堂には、この『サトゥルヌス』と、向かい合わせに『ホロフェルネスの首を斬るユディット』が掛かっていました。食べる部屋に、食べる絵と殺す絵が置かれていたことになります。

なお、これら十四点にゴヤは題名を付けていません。現在の呼称は、彼の死後に友人の画家アントニオ・ブルガダが作成した目録によるものです。

1874年に何が起きたか

ゴヤは1824年にフランスへ移り、1828年にボルドーで没しました。家は人手に渡ります。

1873年、ベルギーの銀行家フレデリック・エミール・デルランジェ男爵がこの家を購入しました。彼の狙いは、壁画をカンヴァスに移して1878年のパリ万国博覧会で売却することでした。

転写作業を担当したのが、プラド美術館の修復家サルバドール・マルティネス・クベルスです。壁の漆喰ごと剥がし、カンヴァスに貼り付ける作業でした。

この作業は損傷を伴います。そして彼は失われた部分を補い、同時に一部を描き変えました。

幸い、作業前に写真家ジャン・ロランが壁の状態を撮影しています。その記録と現状を比べると、輪郭、明暗、細部に相違が確認できます。

冒頭に挙げた点はその一つです。ロランの写真には、現在の画面にはない描写が写っているように見えます。当時の感覚では展示に耐えないと判断されたのでしょう。

デルランジェはパリで買い手を見つけられませんでした。1881年、彼はこの連作をスペイン国家に寄贈します。

そして聾者の家は1909年に取り壊されました。

作者をめぐる議論

この連作の作者がゴヤであることは、通説として確立しています。

ただし異論があります。美術史家フアン・ホセ・フンケーラは、作品の一部が置かれていた二階部分が、ゴヤの死後に増築されたことを指摘しました。この点から、連作の少なくとも一部は息子のハビエル・ゴヤの手によるのではないかという説が提起されています。

これは少数意見であり、プラド美術館は採用していません。ただし議論自体は存在します。

見どころ

目。異常に見開かれ、白目が大きく露出しています。焦点が合っていません。この顔は加害の表情ではなく、錯乱の表情です。

手。指が肉体に食い込んでいます。爪の描写はなく、指の圧力だけが示されています。

食べられている者。神話ではサトゥルヌスが飲み込むのは生まれたばかりの子です。ところがこの画面の身体は成人のものです。頭部と右腕はすでにありません。性別も判別できません。

光。下方から当たっています。通常の絵画的照明と逆であり、顔が下から照らされることで骨格が強調されます。

背景。完全な黒です。空間も場所もありません。

筆致。粗く、速く、厚く置かれています。細部は省略されています。壁に直接描いていることを考えれば、この処理は自然でもあります。

何を意味するのか

解釈は分かれています。

政治的読解。権力が国民を食い尽くす図。1820年代のスペインは、フェルナンド7世の絶対王政復古と自由主義者への弾圧のさなかにありました。

時間の寓意。サトゥルヌスはギリシャ神話のクロノスと同一視され、クロノスは時間を意味する語と結びつけられてきました。時が自らの生み出したものを飲み込むという読み方です。

個人的読解。ゴヤには多くの子が生まれ、成人したのはハビエル一人でした。

そしてもう一つ。そもそも意味を求めるべきではないという立場です。この絵は誰かに見せるために描かれておらず、説明を要求されていません。

フランシスコ・デ・ゴヤについて

ゴヤ(1746~1828)はアラゴンのフエンデトードスに生まれ、王立タペストリー工場の下絵描きから出発し、1799年に首席宮廷画家となりました。

1792年頃の重病で聴力を完全に失います。

代表作に『1808年5月3日』『裸のマハ』、版画集『戦争の惨禍』があります。

1824年、彼はスペインを離れてフランスのボルドーへ移り、そこで没しました。聾者の家の壁画は、出発の直前に描かれています。

遺産と影響

この連作は19世紀のあいだ、ほとんど評価されませんでした。未完成の落書き、あるいは病んだ精神の記録として扱われています。

20世紀に入って状況が変わります。表現主義とシュルレアリスムが、この画面に自分たちの先行者を見出しました。

フランシス・ベーコンの歪んだ人体、そして現代のホラー表現の系譜が、しばしばここに遡って語られます。

同じ食堂の向かいに掛かっていた『ホロフェルネスの首を斬るユディット』の主題は、カラヴァッジョも扱っています。

作品が見られる場所

マドリードのプラド美術館、第66室にあります。

  • 十四点がまとめて展示されています。この作品だけを見ると、元の環境が持っていた意味が失われます。特に向かいの『ユディット』と併せて見てください。
  • 開館は月曜~土曜10時~20時、日曜・祝日10時~19時。プラドは月曜も開いています。
  • 月曜~土曜は18時以降、日曜・祝日は17時以降が無料入場時間帯です。混雑します。
  • 料金と展示室の配置は変更されることがあるため、事前に公式サイトでご確認ください。

同じ美術館に『1808年5月2日』と『1808年5月3日』、『着衣のマハ』と『裸のマハ』、そしてベラスケスの『ラス・メニーナス』があります。

順路の助言。初期のタペストリー下絵から、宮廷肖像、そして黒い絵へと順に見ると、一人の画家のなかで何が変わったのかが見えます。同じ人物が描いたとは思えない落差があります。

この絵の前で最後まで残るのは、この画面が本来ここにあるべきものではないという事実です。壁に描かれ、剥がされ、描き直され、値がつかず、国に贈られ、そして家は壊されました。ゴヤが食堂の壁にこれを描いたとき、それを見る人間は彼だけでした。

画像: Saturno devorando a su hijo – フランシスコ・デ・ゴヤ、1820~23年頃、プラド美術館蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.

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