View of Delft by Johannes Vermeer, 1660

デルフト眺望 – プルーストの黄色い壁はどこにあるのか

この絵は特定の一日の、特定の時刻を描いています。そしてその時刻は画面のなかから読み取れます。スキーダム門の上に小さな時計が描かれており、針は七時を少し過ぎたあたりを指しています。木は葉が茂っているので晩春か夏、光は東から入っているので朝です。船はすべて繋留され帆は下ろされ、水面はほとんど揺れていません。

基本情報

この作品が忘れられない理由

決定的なのは雲です。街のほとんどが雲の影に沈んでいるなかで、一か所だけが日を浴びています。新教会の鐘塔です。しばらくすれば雲が流れてこの配置は消えたはずです。フェルメールが捕らえたのは数分間の状態です。

そしてその新教会には、オランダ共和国の建国者オラニエ公ウィレムの墓があります。街全体が翳っている朝に、唯一光っているのが国父の墓所です。これを偶然と見るのは難しいでしょう。

もう一点、この絵は記録ではありません。フェルメールは建物の位置をわずかにずらし、屋根の線を整理し、新教会を実際より際立たせています。この画面の静けさは、観察であると同時に編集です。

1654年の爆発

デルフトには1654年10月に大きな事件がありました。火薬庫が爆発し、街の北東部が破壊されたのです。

この爆発で、レンブラントの弟子でありデルフト随一の画家だったカレル・ファブリティウスが命を落としました。彼がその年に描いた『ごしきひわ』は、いまこの絵と同じ美術館、数部屋隔てたところに掛かっています。

ただしこの絵に爆発の痕跡を見ることはできません。視点が南東であり、被害地域は反対側だからです。爆発が残したのは画面ではなく状況でした。1650年前後のデルフトにはピーテル・デ・ホーホ、パウルス・ポッテル、ヤン・ステーンといった画家が一時集まり、「デルフト派」と呼びうる流れがありましたが、爆発の後に画家たちが街を離れ、その共同体は縮小します。フェルメールは残りました。

象徴と見どころ

  • 四つの帯。画面は四つの水平層に分かれます。岸辺、水、街、空です。空が画面の半分以上を占めます。
  • 光と影。手前の岸辺と街の大部分は影、新教会の鐘塔と門の周辺は日向。この対比が空間の奥行きを作ります。
  • 水面。水はほとんど動かず、建物と空をそのまま映しています。ところどころに微細な風の筋があります。
  • 人物。手前に二組が立って話し、門の前の岸辺に数人が見えるか見えないかの大きさで歩いています。人物は脇役です。
  • 小さな点。船の船体と城壁を近くで見ると、盛り上がった小さな白い点があります。これをプアンティエと呼びます。初期のレンズが作り出す錯乱円と似ているため、フェルメールがカメラ・オブスクーラを使用したという説の根拠としてしばしば引かれます。文書による証拠はありませんが、絵の表面には痕跡が残っています。

ヨハネス・フェルメールについて

フェルメール(1632~1675)はデルフトに生まれ、生涯その街をほとんど離れませんでした。残した作品は三十五点前後で、大半は室内場面です。屋外を扱ったのはこの作品と『小路』の二点だけであり、そのうち街全体を俯瞰したのはこの一点のみです。

彼は生前、裕福ではありませんでした。四十三歳で世を去り、多額の負債を残しています。彼の絵の大半はデルフトのパトロンであるピーテル・ファン・ライフェン一人が所有しており、この作品もその一つでした。

彼の偉大さは光の扱いにあります。平凡な室内と平凡な朝が、彼の画面では静止した状態になります。『牛乳を注ぐ女』とこの絵を並べると、台所の窓辺と都市全体が同じ論理で描かれていることがわかります。一つの光源、静止した時間、そして過剰に静かな空気です。

200ギルダーから2,900ギルダーへ

この絵のその後の歴史は、それ自体が一つの物語です。

1696年、アムステルダムの競売にファン・ライフェンの遺産にあったフェルメール二十一点が一括で出ました。この作品はそのなかで最も高く落札されましたが、価格は200ギルダーでした。当時の良い馬一頭ほどの値です。以後百年余り、絵は個人蔵を転々とし、フェルメールという名は忘れられました。

1822年、新設のマウリッツハイス美術館がこの絵を2,900ギルダーで購入します。国王ウィレム1世の意向があったと伝えられます。オランダ絵画に支払われた当時の最高額でした。

そして19世紀半ば、フランスの批評家テオフィル・トレ=ビュルガーがマウリッツハイスでこの絵を見て衝撃を受けます。彼はこの無名の画家の作品を追跡し始め、その作業がフェルメールを美術史に取り戻しました。今日私たちがフェルメールを知っているのは、この一点があったからです。

プルーストと黄色い壁

プルーストはこの絵を二度見ています。1902年10月にマウリッツハイスで一度、1921年5月にパリのジュ・ド・ポームで開かれたオランダ絵画展でもう一度です。二度目の鑑賞で彼はひどく目まいを起こし、その経験が『失われた時を求めて』における作家ベルゴットの死の場面になりました。プルーストはそれから一年半後に世を去ります。

小説のなかでベルゴットは、この絵の「小さな黄色い壁の一片」に見入りながら倒れます。

ところが問題があります。研究者たちは今も、その黄色い部分が画面のどこなのかを特定できていません。壁ではなく日の当たった屋根だったのではないかという見解もあります。この絵のもっとも有名な細部は、はっきり指し示すことのできない部分です。

作品が見られる場所

ハーグのマウリッツハイス美術館にあります。17世紀の邸宅を改装した大きくない美術館であり、その分密度が高い場所です。

  • 住所: Plein 29, 2511 CS Den Haag
  • 開館: 月曜13時~18時、火曜~日曜10時~18時(変更の可能性があるため公式サイトでご確認ください)
  • 交通: ハーグ中央駅から徒歩約10分
  • 併せて見る作品: フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』、そしてファブリティウスの『ごしきひわ』。三点を一つの建物で見ることができます。
  • 助言: 週末は混雑します。平日午前の早い時間とオンライン事前予約をおすすめします。

この美術館は2022年に、この絵一点だけを置いて来館者が一人で向き合う展示を行ったこともあります。それだけの扱いを受ける絵です。

この絵の前で最後まで残るのは美しさではなく静寂です。船は繋がれ、人は遠く、風はほとんどなく、雲が一つ街を覆っています。数分後には消えていたはずの状態を、フェルメールは三百六十年のあいだ留めました。

画像: Gezicht op Delft – ヨハネス・フェルメール、1660~61年頃、マウリッツハイス美術館蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.

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