裸のマハ – ベラスケスへのゴヤの返答
この絵は、別の絵への返答です。ゴドイの邸宅には裸体画だけを集めた部屋があり、そこにはベラスケスの『鏡のヴィーナス』が掛かっていました。ベラスケスはヴィーナスの背中を見せ、顔は鏡のなかにだけ映しました。ゴヤは正面を描きました。鏡もキューピッドも神話も取り除きました。残ったのは、寝台に横たわって鑑賞者と向き合う一人の人間です。
基本情報
- 作者: フランシスコ・デ・ゴヤ(1746~1828)
- 制作年: 1795~1800年頃。1800年11月にゴドイの邸宅で記録されています
- 技法: キャンバスに油彩
- 寸法: 97 × 190 cm
- 芸術運動: ロマン主義
- 所蔵先: プラド美術館(マドリード)、1901年収蔵
この作品が忘れられない理由
ルネサンス以降の西洋絵画で、横たわる女性の裸体はたいていヴィーナスでした。神話という名分があり、その名分のおかげで絵は芸術になりました。そして彼女たちはたいてい眠っているか、視線をそらしていました。
この絵には名分がありません。女神でもなく、寓意でもなく、物語もありません。ただ一人の女性が寝台に横たわり、画面の外をまっすぐ見ています。恥じらいもせず、誘いもしない表情です。鑑賞者と向き合いながら、鑑賞者のために存在してはいない顔です。
もう一点。この作品は、西洋絵画において女性の陰毛を否定的な含意なしに描いたもっとも早い例の一つに数えられます。それ以前にも描写がなかったわけではありませんが、たいていは道徳的判断が付いた文脈でした。ここにはその装置がありません。当時の基準でこれは完全に世俗的な絵であり、まさにその点が後に問題になります。
ベラスケスへの返答
1790年代末のスペインで実権を握っていたのは宰相マヌエル・ゴドイでした。彼は裸体画だけを集めた私室を持っており、この絵はその部屋のために制作されたと考えられています。
この絵についての最初の記録は1800年11月のものです。版画家ペドロ・ゴンサレス・デ・セプルベダがゴドイの邸宅の私室を訪れ、日記に書き残しました。そこには「ゴヤの裸のヴィーナス」が掛かっていたが、素描にも色彩にも優美さがない、と。今日もっとも有名なスペイン絵画の一つは、最初の目撃者に酷評されていたのです。絵はその部屋の扉の上に掛けられていました。
同じ部屋にはベラスケスの『鏡のヴィーナス』と、ティツィアーノのヴィーナスの模写もありました。『鏡のヴィーナス』は、現在ロンドンのナショナル・ギャラリーにある作品です。
二枚を並べて考えると、ゴヤが何をしたのかがはっきりします。ベラスケスのヴィーナスは背を向けて横たわり、顔はキューピッドが持つ鏡のなかにだけ現れます。体は長く流麗で、華やかな布の上にあります。ゴヤのマハは正面を向いて横たわり、体は短く角張っており、装飾のない白い布の上にいます。鏡もキューピッドもありません。
ゴヤはベラスケスを生涯の師の一人に挙げていましたが、ここでは師の構図を正面から裏返しました。
そして、同じ姿勢の『着衣のマハ』が加わります。描き方の違いから、裸のほうが先に描かれ、着衣のほうが後に描かれたとする見方が有力です。ゴドイの家では着衣のほうが前に掛けられ、仕掛けで動かすとその裏からこの絵が現れる構造だったという話が伝わっていますが、これは後世に語られるようになった伝承です。
宗教裁判所
1808年、ナポレオンの侵攻とともにゴドイが失脚し、財産が押収されます。二枚のマハはサン・フェルナンド王立美術アカデミーに預けられ、1813年、宗教裁判所によって没収されました。翌1814年の目録で、着衣のほうは「マハの装いをした女性」と記されています。「マハ」という呼び名は、ここから広まりました。
1815年3月16日、宗教裁判所はゴヤに出頭を命じます。これらの絵が彼の作品か、誰が依頼したか、どのような意図だったかを明らかにせよという要求でした。
彼が何と答えたかの記録は残っていません。重い処罰は受けず、有力者の助力があったとも伝えられますが、詳しいことはわかっていません。
その後、二枚は1836年から再びサン・フェルナンド王立美術アカデミーの、人の立ち入りを制限した部屋に置かれました。プラド美術館に移されたのは1901年、ゴヤの死から73年後です。美術館の目録に初めて載ったのは1910年でした。
象徴と見どころ
視線。この絵でまず突き当たる要素です。他のすべてはその次です。
肌。ゴヤは温かいクリーム色と薔薇色を混ぜて肉を表現しました。下に敷かれた白い布が冷たく処理されているため、対比が強まります。
構図。人物が画面をほぼ横切ります。両腕を頭の後ろへ回して体を大きく開き、体は緩やかな曲線を描きます。ただしベラスケスの流麗な曲線とは違い、この体は短く角張っています。理想化していないという意味です。
頭部と体の関係。顔が体に対してやや不自然に載っているという指摘は古くからあります。制作の途中で頭部を描き直した可能性が提起されており、これはモデルの正体を隠すための処置だったという解釈と結びついています。
二枚の微細な差。プラドで着衣の版と並べて見るときは姿勢を比べてみてください。同じに見えますが、脚の位置と体の角度が少しずつ違います。着衣のほうは衣服を描くために、よりゆるやかな筆致で描かれています。
モデルは誰なのか
確定していません。
もっとも古い説は第13代アルバ公爵夫人マリア・カエターナ・デ・シルバです。ゴヤとの関係についての噂、1797年の肖像画の指輪と「ただゴヤのみ」という文字が根拠として引かれます。もう一つの説はゴドイの愛人ペピタ・トゥドです。どちらも確かな根拠はありません。
1945年にはアルバ公爵夫人の遺骸を発掘して身体の比率を照合しようとする試みまで行われました。結論は出ていません。複数の人物の特徴を組み合わせた架空の人物という見解も広く受け入れられています。
フランシスコ・デ・ゴヤについて
ゴヤ(1746~1828)はアラゴンのフエンデトードスに生まれました。若い頃にイタリアを旅し、帰国後は王立タペストリー工場の下絵を描いて宮廷に入ります。1799年に首席宮廷画家となりました。
1792年から93年にかけての重病で聴力を失った後、彼の仕事は方向を変えます。『ロス・カプリチョス』、『戦争の惨禍』、そして晩年に自宅の壁に描いた『黒い絵』連作がその結果です。彼は自分の師は三人だと述べました。ベラスケス、レンブラント、そして自然です。
遺産と影響
もっとも直接的な後裔とされるのがマネです。1863年に描き、1865年のサロンに出品した『オランピア』は、ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』とともに、ゴヤの『裸のマハ』を大胆に踏まえた作品だと指摘されています。こちらを見返す裸婦という主題は、マネのもとでさらに大きな騒ぎを起こしました。
この絵の騒動は20世紀まで続きました。1930年、ゴヤの没後百年を記念してこの絵を図案にした切手が発行されると、アメリカはこの切手が貼られた郵便物を差出人へ返送したと伝えられています。宗教裁判所に押収されてから百年以上が過ぎても、この絵はなお国境で止められたのです。
今日この作品は、女性の主体性と芸術の自由を象徴するイメージとして引用されます。ただし一点は押さえておく価値があります。この絵は女性の自由のために描かれたのではありません。男性権力者の私室に、名前も残らないモデルを描いて掛けたものです。その事実と、この絵がその後の美術で果たした役割は、併せて見る必要があります。
日本では?
『裸のマハ』が日本で公開されたのは、1971年のことです。東京・上野の国立西洋美術館で開かれたゴヤ展で、この絵は『着衣のマハ』と並んで展示され、大きな話題を呼びました。この展覧会では、晩年の「黒い絵」もパネルで紹介されています。
それから40年後、2011年から2012年にかけて同じ国立西洋美術館で開かれた「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」展では、『着衣のマハ』が40年ぶりに来日しました。ただし、このとき『裸のマハ』は来ていません。かつて一つの部屋で、表と裏に掛けられていたと伝えられる二枚のうち、日本にやってきたのは着衣のほうだけだったのです。二枚を並べて見るためには、いまはマドリードを訪れる必要があります。
作品が見られる場所
マドリードのプラド美術館にあります。通常は着衣の版と並べて掛けられており、二枚を一緒に見ることがこの作品を理解する最良の方法です。
- 開館は月曜~土曜10時~20時、日曜・祝日10時~19時が基本です。プラドは月曜も開いています。
- 閉館前の二時間ほどは無料入場時間帯ですが、その分混雑します。
- 入場料は大人15ユーロ前後、18歳未満は無料です。料金と展示室の配置は変更されるため、事前に公式サイトでご確認ください。
同じ美術館にゴヤの『カルロス4世の家族』、『1808年5月3日』、『黒い絵』連作があります。マドリードではプラド、ティッセン=ボルネミッサ、レイナ・ソフィアが徒歩圏内にありますが、一日で三館を回ることはおすすめしません。
そしてこの絵の出発点をご覧になりたければ、ロンドンへ行く必要があります。ゴドイの部屋に一緒に掛かっていたベラスケスの『鏡のヴィーナス』は、いまナショナル・ギャラリーにあります。かつて一つの部屋にあった二枚の絵は、いま二つの国に分かれています。
この絵の前で最後まで残るのは裸体ではなく目です。この絵は百年近く閉ざされた部屋にあり、切手になって国境で返送され、画家は宗教裁判所に呼ばれました。その騒ぎのすべての原因は、結局、画面の外を見返した視線一つでした。
画像: La maja desnuda – フランシスコ・デ・ゴヤ、1795~1800年頃、プラド美術館蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.
