ひまわり – 一点は1945年に日本で焼失した
この連作のうち一点は、日本で焼失しました。「芦屋のヒマワリ」と呼ばれるその一点は、1920年に日本へ渡り、芦屋の実業家・山本顧彌太の邸宅に飾られていましたが、1945年8月6日の空襲で邸宅もろとも焼けました。日本で人々の前に展示されたのは、合わせてわずか14日間だけでした。そして別の一点は、いまも東京にあります。
基本情報
- 作者: フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)
- 制作: 1888年8月、アルル
- 技法: 油彩・カンヴァス
- 寸法: 92.1 × 73 cm
- 花の数: 15本
- 芸術運動: ポスト印象派
- 所蔵先: ナショナル・ギャラリー(ロンドン)
七点のうち、いま六点
アルルで花瓶に挿したひまわりを描いた作品は七点あり、現存するのは六点です。1888年8月に描かれた四点と、1888年12月から1889年1月にかけて、それらをもとに描かれた三点の繰り返しです。
- 三本のひまわり(1888年8月)— 個人蔵
- 「芦屋のヒマワリ」(1888年8月)— 焼失。日本・芦屋にありました
- 十二本のひまわり(1888年8月)— ミュンヘン、ノイエ・ピナコテーク
- 十五本のひまわり(1888年8月)— 本作。ロンドン、ナショナル・ギャラリー
- 繰り返し(1888年12月~89年1月)— アムステルダム、ファン・ゴッホ美術館
- 繰り返し(1888年12月~89年1月)— フィラデルフィア美術館
- 繰り返し(1888年12月~89年1月)— 東京、SOMPO美術館
なお、パリ時代(1887年)に描かれた、地面に置かれたひまわりの習作群はこれとは別の系列です。一つの主題が複数の「版」として世界に散らばっていることの意味については、あなたが見ているのは、どの版?——複数存在する名画たちでも取り上げています。
なぜひまわりだったのか
この連作は、部屋を飾るために描かれました。
1888年、ファン・ゴッホはアルルの黄色い家を借り、画家たちの共同生活を計画していました。最初の客はポール・ゴーギャンです。
彼はゴーギャンが使う部屋のために、この絵を描きました。弟テオへの手紙には、朝早くから、花が萎れる前に一気に描いていると記しています。ひまわりは切ってから数日で頭を垂れます。速度が必要でした。
ゴーギャンは10月に到着し、12月に共同生活は破綻します。
その後、ゴーギャンはこの連作の一点を譲ってほしいと申し出ました。ファン・ゴッホは断りました。そのかわりに、彼は自分で同じ構図を描き直しています。これが、のちに東京へ渡る一点を含む「繰り返し」の三点です。
黄色は褪せています
この絵について知っておくべき技術的な事実があります。
ファン・ゴッホが使った黄色の一部はクロムイエローと呼ばれる顔料でした。当時登場したばかりの、鮮やかで安価な絵具です。
2011年に発表された科学分析により、この顔料が光を受けると化学変化を起こし、褐色に変わることが確認されました。
つまりこの画面のいくつかの部分は、描かれた当時より暗くなっています。もともとはもっと明るく、もっと鮮烈な黄色でした。
美術館がこの作品の照明を抑えているのはこのためです。そして進行を完全に止めることはできません。
見どころ
黄色の上の黄色。背景も花瓶も花も黄色です。色相の対比ではなく、明度と彩度の差だけで形を立てています。
十五本の状態がすべて違います。満開のもの、花弁を落としたもの、種を結んで頭を垂れたもの、萎れたもの。花の一生が一つの花瓶に収められています。
絵具の厚み。中心部の種の部分は絵具が盛り上がり、画面から突き出ています。図版では平坦に見えますが、実物では影ができます。
花瓶の署名。花瓶の中ほどに「Vincent」と記されています。姓ではなく名です。彼はオランダ語の姓が外国で正しく発音されないことを理由に、名で署名していました。
線。花瓶の胴に一本の横線が引かれ、上下で色が分かれています。
日本では?
この主題には、日本と結びついた二つの物語があります。
焼失した「芦屋のヒマワリ」。1920年、大阪の実業家・山本顧彌太が、武者小路実篤ら白樺派の依頼を受けて、当時の2万円でこの一点を購入しました。白樺派は日本に西洋美術の美術館をつくる構想を持っていましたが、それは実現せず、絵は芦屋の山本邸の応接室に飾られることになります。日本で一般に公開されたのは、1921年の東京と1924年の大阪をあわせて、わずか14日間だけでした。
1945年8月6日、阪神地域への空襲で山本邸は焼け、絵も失われました。けれども、その姿は完全には消えていません。2014年、徳島県の大塚国際美術館は、武者小路実篤記念館の協力を得て、当時刊行されたカラー印刷の画集をもとに、この「幻のヒマワリ」を原寸大の陶板で再現しています。
東京にある一点。1987年3月30日、ロンドンのクリスティーズで「繰り返し」の一点が競売にかけられ、安田火災海上保険(現在の損害保険ジャパン)が、当時の絵画の史上最高額となる3,990万ドルで落札しました。最後まで競ったのは、オーストラリアの実業家アラン・ボンドの代理人だったと伝えられます。日本のバブル経済期を象徴する出来事として報じられました。
この作品は現在、新宿のSOMPO美術館にあります。2020年に新しい美術館棟が開館し、前庭には表面の凹凸まで再現した陶板の複製も置かれています。日本国内で、ファン・ゴッホの『ひまわり』の本物を見ることができるのです。この東京の一点については、1990年代に真贋をめぐる疑義が出されたこともありますが、その後の研究を経て、真作として広く認められています。
そしてこの一点には、もう一つの歴史があります。かつての所有者は、ドイツのユダヤ系銀行家パウル・フォン・メンデルスゾーン=バルトルディでした。彼はナチス政権下の迫害のなかで、1934年にパリの画商を通じてこの絵を手放しています。2022年12月、その子孫がSOMPOホールディングスを相手取り、絵の返還と巨額の賠償を求める訴えをアメリカで起こしました。2024年6月、連邦地裁は管轄権がないとして訴えを退け、2025年には控訴裁判所もこの判断を支持しています。その後、遺族は別の連邦裁判所で新たな訴えを起こしたと報じられており、議論はなお続いています。日本にある名画が、ヨーロッパの二十世紀の歴史と無関係ではないことを示す出来事です。
フィンセント・ファン・ゴッホについて
ファン・ゴッホ(1853~1890)は二十七歳で絵を始め、十年に満たない期間に油彩約900点、素描1,100点以上を残しました。
広く流布している話を一つ訂正しておきます。生前に売れた絵は一枚だけだった、あるいは一枚も売れなかった、という話です。1890年にアンナ・ボックが『赤い葡萄畑』を購入したのは事実ですが、ファン・ゴッホ美術館はこの「一枚」という数字を根拠のない通説としています。彼は他の作品も売り、あるいは交換していました。
同じアルル時代の作品に『夜のカフェテラス』と『ベッドルーム』があります。
2022年の事件
2022年10月14日、環境活動団体「ジャスト・ストップ・オイル」の活動家二人が、この絵にトマトスープを投げつけ、壁に手を接着しました。
作品はガラスで保護されており、絵具層に損傷はありませんでした。額にわずかな影響が出ましたが、絵は同じ日のうちに再び展示されています。
その三か月前、同じ団体は同じ美術館でコンスタブルの『ザ・ヘイ・ウェイン』を標的にしていました。
作品が見られる場所
ロンドン、ナショナル・ギャラリー。トラファルガー広場に面しています。常設展示は無料です。
- 開館はおおむね10時から18時、金曜は21時まで。変更されることがあるため事前確認を推奨します。
- 展示室の配置は近年の再配置で変わっています。現地の案内でご確認ください。
- 平日午前の開館直後が最も空いています。
- 照明は意図的に抑えられています。先に述べた顔料の劣化を遅らせるためです。
- 同じ美術館にターナーの『戦艦テメレール』があります。
そして東京です。新宿のSOMPO美術館に『ひまわり』があります。日本から出ずにこの連作の一点を見られます。開館日と展示状況は同館の公式サイトでご確認ください。失われた「芦屋のヒマワリ」の姿は、鳴門の大塚国際美術館で、原寸大の陶板として見ることができます。
他の現存作はアムステルダムのファン・ゴッホ美術館、ミュンヘンのノイエ・ピナコテーク、フィラデルフィア美術館にあります。
この絵の前で最後まで残るのは、数です。七点描かれ、一点は日本で焼け、一点は日本にあります。そして目の前の黄色は、百三十年かけて少しずつ、描かれたときの色から離れていっています。
画像: Zonnebloemen – フィンセント・ファン・ゴッホ、1888年8月、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.
