ベッドルーム – この部屋の壁は青ではなかった
この部屋の壁は、青ではありませんでした。シカゴ美術館の顔料分析により、ファン・ゴッホが青の顔料に赤いレーキ顔料を混ぜて紫を作っていたことが判明しています。その赤い成分は光に弱く、百年以上のあいだに褪色しました。扉と幅木も同じで、もとは紫がかったピンクでした。彼自身が弟テオへの手紙で、壁を「淡いライラック色」と書いています。私たちが青の絵として知っているこの作品は、本来は紫と黄色の絵でした。
基本情報
- 作者: フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)
- 制作: 1889年9月、サン=レミ=ド=プロヴァンス
- 技法: キャンバスに油彩
- 寸法: 73.6 × 92.3 cm
- 芸術運動: ポスト印象派
- 所蔵先: シカゴ美術館
なぜ三点あるのか
同じ構図の絵が三点存在する理由は、しばしば「この部屋への愛着」として説明されます。実際の経緯はもう少し具体的です。
第一版(1888年10月、アルル)。ゴーギャンの到着を待ちながら、黄色い家の自室を描きました。現在アムステルダムのファン・ゴッホ美術館にあります。
1889年4月、洪水。アルルの黄色い家が浸水し、保管されていたこの絵が損傷しました。テオは修復のためパリへ送ります。
第二版(1889年9月、サン=レミ)。療養院にいたファン・ゴッホは、テオから送られてきた第一版を手本に、同じ大きさで描き直しました。これがシカゴ美術館の作品です。
第三版(同時期)。母と妹のために、より小さいサイズで描きました。現在パリのオルセー美術館にあります。57 × 74 cmと一回り小さい絵です。
つまり二点目と三点目は、記憶からの再現ではなく、手元にある絵を見ながらの複製です。
三点の見分け方は壁の絵です。ベッドの上に掛かった二枚の肖像画が、版によって異なります。この点を覚えておくと、図版を見たときにどの版かがわかります。
この作品が忘れられない理由
ファン・ゴッホはテオへの手紙で、この絵の意図を明確に書いています。休息を、あるいは睡眠を思わせるものにしたかった、色だけですべてを語らせ、単純化によって物に偉大な様式を与えたかった、と。
ところが実物の前に立つと、休息よりも強い緊張を感じます。床は傾き、壁は迫り、家具は膨らんで見えます。
遠近法が崩れているのは失敗ではありません。ただし理由は二つあります。一つは、彼が日本の版画から学んだ平面的な空間処理です。もう一つは、この部屋が実際に不規則な形をしていたことです。黄色い家は台形の部屋を含む建物でした。
そしてこの部屋のものはすべて二つずつあります。椅子が二脚、枕が二つ、肖像画が二枚、瓶が二本、そして寝台は二人用です。彼はここにひとりで住んでいました。
象徴と見どころ
色。先に述べたとおり、壁は本来紫でした。褪色を考慮に入れると、この画面は紫と黄の対比で組まれていたことになります。ファン・ゴッホがこの時期に繰り返した補色の組み合わせです。
床。手前から奥へ急激に狭まります。実際の部屋の形と、意図的な誇張の両方が働いています。
影がありません。この画面には落ち影が描かれていません。日本の版画から取り入れた処理です。そのため物が浮いているように見えます。
壁の肖像画。ファン・ゴッホ自身が描いた作品です。ただし版によって別の絵が掛けられています。
閉じた鎧戸。窓の鎧戸は閉じられています。外の光は入っていません。にもかかわらず画面は明るく、光源が特定できません。
歴史的背景
1888年、ファン・ゴッホはアルルの黄色い家を借りました。画家たちの共同生活の拠点にするという計画があり、その最初の客がポール・ゴーギャンでした。彼は部屋を整え、家具を買い、壁に掛ける絵を描きました。『ひまわり』はゴーギャンが使う部屋のために描かれています。
第一版はその準備の一部でした。ゴーギャンはこの絵を高く評価したと伝えられます。
ゴーギャンは10月に到着し、12月に二人の関係は破綻します。ファン・ゴッホは耳の一部を切り落とし、翌1889年5月にサン=レミの療養院へ入りました。
第二版が描かれたのは、その療養院でです。彼が描いたのは、すでに失われた計画の部屋でした。
この絵が経験したこと
1938年。展覧会からの輸送中、この作品を積んだ列車がスペインのベニカルロ付近で脱線しました。絵は無事でした。
2007~2008年。シカゴ美術館が大規模な修復を実施し、その過程で顔料の分析が行われました。壁の紫が判明したのはこの調査によるものです。
2016年。同館はAirbnbと組み、この絵の部屋を実物大で再現した宿泊施設をシカゴに公開しました。予約は数分で埋まりました。
フィンセント・ファン・ゴッホについて
ファン・ゴッホ(1853~1890)は二十七歳で絵を始め、十年に満たない期間に油彩約900点、素描1,100点以上を残しました。
広く流布している話を一つ訂正しておきます。生前に売れた絵は一枚だけだった、という話です。1890年にアンナ・ボックが『赤い葡萄畑』を購入したのは事実ですが、ファン・ゴッホ美術館はこの数字を根拠のない通説としています。
同じサン=レミ時代の作品に『星月夜』と『アーモンドの花』があります。
作品が見られる場所
シカゴ美術館にあります。ミシガン・アヴェニューとモンロー・ストリートの交差点、ミレニアム・パークの隣です。
- 開館曜日と時間、料金は変更されることがあるため、訪問前に公式サイトでご確認ください。
- 開館直後が最も空いています。
- まず離れて全体の色の関係を見て、次に近づいて筆跡を見てください。この絵は絵具が厚く盛られており、その凹凸は図版に写りません。
- 同じ美術館にモネの『睡蓮』とスーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』があります。
他の二点はアムステルダムのファン・ゴッホ美術館とパリのオルセー美術館にあります。三点を並べて見る機会は、大規模な回顧展のときに限られます。
この絵の前で最後まで残るのは、安らぎではなく数です。椅子が二脚、枕が二つ、肖像画が二枚、寝台は二人分。ファン・ゴッホはこの部屋を、来るはずの誰かのために整えました。その計画は二か月で終わり、彼はこの絵を療養院でもう一度描きました。
画像: De slaapkamer – フィンセント・ファン・ゴッホ、1889年9月、シカゴ美術館蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.
