金剛全図 – いま行くことのできない山の絵
この絵に描かれた山へ、今日ほとんどの韓国人は行くことができません。金剛山は北朝鮮側にあります。1998年から2008年までは韓国からの観光が行われていましたが、韓国人観光客が北朝鮮兵に射殺された事件を機に中断され、2019年には金正恩が韓国側施設の撤去を指示しました。実在する場所を実際に見て描くという原則から生まれたこの絵は、いまや行けない場所の記録になっています。
基本情報
- 作者: 鄭敾(チョン・ソン、1676~1759)
- 制作年: 1734年。画中の干支の読み方から1747年とする説もあります
- 技法: 紙本淡彩
- 寸法: 130.7 × 94.1 cm(縦長)
- 芸術運動: 朝鮮王朝美術
- 所蔵先: リウム美術館(ソウル)。韓国国立中央博物館ではありません
画面は縦に二分されています
この絵を見るとき、最初に気づくべきは左右の違いです。
右半分。白い岩の峰が林立しています。鋭く細い縦の線で描かれ、余白が多く、硬質です。
左半分。丸みを帯びた暗い山塊が続きます。短い点を重ねる筆法で、樹木に覆われ、湿って見えます。
この対比は美学的な工夫であると同時に、地質の記録でもあります。金剛山の東側は花崗岩が露出した岩峰地帯、西側は土壌に覆われた森林地帯です。鄭敾は実際の地形の性格を、筆法の違いとして描き分けました。
同時に、この二分は硬と柔、陽と陰の構成として読まれてきました。どちらの読み方も排除されません。
円のなかに山を収める
もう一つの特徴は輪郭です。山塊全体が円形に収められています。
この視点は、実際にはどこからも得られません。上空から見下ろすと同時に、峰を横から見た形でもあります。複数の視点を一つの画面に統合した構成です。
鄭敾は金剛山を幾度も訪ね、大量の写生を行いました。しかしこの絵は、その写生をそのまま並べたものではありません。歩いて集めた情報を、一つの俯瞰図として組み立て直したものです。
真景山水は写生ではありません。実在する場所を、実在する特徴に基づいて再構成する方法です。この点は同じ画家の『仁王霽色図』でも同様です。
画中の詩
画面の上部には、鄭敾自身の筆による詩が記されています。
一万二千の峰の姿を誰が描き尽くせようか、という趣旨で始まり、山の気配と骨のような岩について述べたあと、最後にこう結ばれます。
枕の上に横たわってこの絵を見るほうが、みずから足を運んで山に登るよりよい。
画家自身が、この絵を旅の代替物として提示しているわけです。
三百年後、その言葉は別の意味を持つことになりました。
歴史的背景
18世紀前半の朝鮮は、英祖の治世下で文化的な安定期にありました。実学の思潮が広がり、朝鮮独自のものを朝鮮の目で見るという意識が高まっていきます。
それまで朝鮮の画家たちは、中国の画譜に基づいて、見たことのない中国の名山を描いていました。理想化された山水であり、特定の場所ではありませんでした。
鄭敾はそれをやめ、朝鮮の実在の山を描きました。
金剛山は古くから仏教の聖地であり、文人たちが憧れた場所でした。一万二千峰と称され、内金剛・外金剛・海金剛に分けられます。この山を実景として描くことは、単なる技法の選択ではなく、朝鮮の風土を主題にしうるという宣言でした。
鄭敾について
鄭敾(1676~1759)はソウルの清雲洞、仁王山の麓に生まれました。
一点、しばしば誤って伝えられることがあります。彼は図画署の画員ではありませんでした。没落した両班の家に生まれ、官職に就いた士大夫です。県監などを務めています。
当時、職業画家である画員は中人身分に属し、士大夫が絵を描くこととは区別されていました。鄭敾が朝鮮絵画史で特異な位置を占めるのは、この身分と、職業画家を上回る量の制作を両立させた点にもあります。
彼は八十三歳まで生き、代表作の多くは高齢になってからのものです。
「国宝第217号」という呼び方について
この作品は1984年に韓国の国宝に指定されました。
ただし2021年11月、韓国は国宝の番号制を廃止しました。番号が重要度の序列と誤解されることが問題とされたためです。現在の正式名称は「鄭敾筆 金剛全図」です。
2024年には所管官庁の名称も「文化財庁」から「国家遺産庁」に変わりました。
制作年について
画中の年記は干支で記されています。これを甲寅と読めば1734年、鄭敾は五十八歳です。
ただし異なる読み方を採る研究者もおり、その場合は1747年、七十一歳のときの作となります。
どちらであれ、彼の様式が完成した時期の作であることは変わりません。
見どころ
岩の描線。鋭く細い縦の線が密に引かれています。花崗岩が垂直に割れる性質を写したものです。
樹木の点。左半分と谷筋には、短い点が無数に打たれています。個々の木ではなく、森の塊として処理されています。
建物。谷のなかに寺院が点在します。長安寺、表訓寺、正陽寺などが描き込まれているとされます。人の営みが山の規模を示す目盛りになっています。
余白。周囲は塗られていません。山だけが白い紙の上に浮いています。
色。ごく淡い彩色が施されていますが、基本は墨です。
作品が見られる場所
ソウルのリウム美術館です。漢南洞にあり、三星文化財団が運営しています。
国立中央博物館と取り違えられることが多いのですが、この作品はリウムの所蔵です。
- 地下鉄6号線の漢江鎮駅から徒歩圏です。
- 紙に描かれた作品のため、常時展示されているとは限りません。訪問前に必ず公式サイトで展示状況をご確認ください。
- 開館時間、休館日、予約の要否は変更されることがあります。
同じ画家の『仁王霽色図』は韓国国立中央博物館にあります。二点は別の館です。両方を見るなら、ソウル市内で二か所を回ることになります。
国立中央博物館には朝鮮白磁の月壺と金銅弥勒菩薩半跏思惟像があります。
山そのものについて
金剛山は江原道の北部、現在の北朝鮮側にあります。
1998年、南北の合意により韓国からの観光が始まりました。当初は船で、のちに陸路で、十年間におよそ二百万人が訪れています。離散家族の再会事業もこの地で行われました。
2008年7月、韓国人観光客が立入禁止区域に入ったとして北朝鮮兵に射殺され、事業は停止しました。
2019年、金正恩は現地を視察し、韓国側が建設した施設を撤去するよう指示しています。
現在、韓国からこの山へ行くことはできません。
この絵の前で最後まで残るのは、詩の最後の一行です。枕の上でこの絵を見るほうが、足で登るよりよい。鄭敾は絵の効用を誇ってそう書いたのでしょう。三百年後、それは選択ではなく条件になりました。
画像: 金剛全図 – 鄭敾、1734年頃、リウム美術館蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.
