Judith Beheading Holofernes by Caravaggio, 1599

ホロフェルネスの首を斬るユディット – 剣を握る女性の名前

剣を握っているこの女性には名前があります。フィッリデ・メランドローニ、当時二十歳のローマの高級娼婦です。彼女はカラヴァッジョの複数の作品にモデルとして登場します。そして彼女の常連客の一人が、ラヌッチョ・トマゾーニでした。1606年、カラヴァッジョが殺してローマから逃亡することになる、その相手です。

基本情報

350年間、行方がわからなかった絵

この作品は、17世紀の記録に存在が確認された後、長く所在が不明でした。

1950年、ローマのコッピ家の私邸に、作者不明のまま掛かっているところを発見されます。特定したのは修復家ピコ・チェッリーニで、翌1951年にミラノで開催される大規模なカラヴァッジョ展の準備過程でのことでした。この展覧会を組織したのは、カラヴァッジョ研究を近代的な学問として確立した美術史家ロベルト・ロンギです。

イタリア国家がこの絵を購入したのは1971年です。

つまり現在この作品が持っている評価は、七十年ほどの歴史しかありません。

この作品が忘れられない理由

この場面の描き方には、前例がありませんでした。

それまでのユディット図像は、決行前か、あるいは首を掲げた後を描くのが通例でした。カラヴァッジョはその中間を選びました。

剣はすでに首に食い込んでいます。しかしホロフェルネスはまだ生きています。目は見開かれ、口は開き、体は跳ね上がろうとしています。彼は今まさに、自分に何が起きているのかを理解した瞬間にいます。

そして血は、垂れているのではありません。三筋になって水平に噴き出しています。頸動脈が切断されたときの実際の挙動です。

カラヴァッジョがこれを知っていた理由については、一つの推測があります。1599年9月、ローマのサンタンジェロ橋のたもとで、父殺しの罪によりベアトリーチェ・チェンチの公開斬首が行われました。この処刑は市中の話題となり、大勢の見物人が集まりました。この絵の推定制作時期と重なります。

三人の人物

ユディット。彼女は行為から身を引いています。腕は伸ばされ、上体は後ろへ反り、眉はひそめられ、口は結ばれています。決意と嫌悪が同時に表れた表情です。英雄的な高揚はありません。

モデルはフィッリデ・メランドローニです。冒頭に述べたとおり、ローマの高級娼婦であり、警察記録に何度も名前が残る人物でした。彼女はカラヴァッジョの『マルタとマリア・マグダレナ』『聖カタリナ』にも登場します。彼女を描いた肖像画もありましたが、1945年にベルリンで焼失しました。

老女。画面右で布を持って待っています。この人物がこの絵を成立させています。彼女は動じていません。長年この仕事を見てきたような顔で、次の手順を待っています。若い肌と皺の対比が、画面に時間の層を加えます。

ホロフェルネス。裸で、白いシーツの上に投げ出されています。筋肉は緊張し、右手は虚空をつかんでいます。彼はこの絵で唯一、動いている人物です。

見どころ

キアロスクーロ。背景は完全な闇で、光は左上から差し込みます。舞台照明のような処理であり、この技法が後にヨーロッパ中へ広がります。レンブラントの『夜警』の光も、この系譜の上にあります。

赤い緞帳。画面上部に垂れる赤い布が、場面を舞台のように区切ります。

構図の三角形。三人の頭部が三角形を作り、視線が中央の剣へ収束します。

ユディットは途中で描き直されています。2018年の赤外線調査により、彼女の姿勢と衣服の位置が制作途中で変更されたことが確認されました。カラヴァッジョは下絵を描かず、カンヴァスの上で直接構成し、必要に応じて塗り替えました。

歴史的背景

16世紀末のローマは、対抗宗教改革の只中にありました。教会は信仰を視覚的に訴える絵画を求めており、殉教と犠牲が主要な主題でした。

カラヴァッジョが従来と違ったのは、聖書の人物を理想化しなかった点です。彼は街で見つけた人々をモデルにし、汚れた足の裏や皺のある顔をそのまま描きました。娼婦を聖人として描いたことで、いくつかの作品は受け取りを拒否されています。

この作品を注文したオッタヴィオ・コスタはジェノヴァ出身の銀行家で、教皇庁の財政に関わる人物でした。個人の邸宅に飾るための絵です。公開を前提としていません。

注文の記録を残したのは伝記作家ジョヴァンニ・バリオーネです。ただし彼はカラヴァッジョの敵対者でもあり、1603年には名誉毀損で彼を訴えています。この時代のカラヴァッジョに関する基礎資料の多くが、彼を憎んでいた人物によって書かれているという事情があります。

カラヴァッジョについて

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571~1610)はミラノ近郊に生まれ、二十歳前後でローマに出ました。

1600年前後の数年で、彼はローマ画壇を変えます。『聖マタイの召命』がその代表です。

そして1606年5月28日、テニスの試合をめぐる争いからラヌッチョ・トマゾーニを殺害し、死刑判決を受けてローマを離れます。ナポリ、マルタ、シチリアを転々とし、1610年、赦免を求めてローマへ向かう途上、トスカーナの海岸で死去しました。三十八歳でした。

遺産と影響

最も重要な後継者はアルテミジア・ジェンティレスキです。彼女が1610年代に描いた同主題の作品は、この絵を出発点としながら決定的に異なります。

カラヴァッジョのユディットは身を引いていますが、ジェンティレスキのユディットは全体重をかけています。袖をまくり、腕に力を込め、老女は傍観者ではなく共犯者としてホロフェルネスを押さえつけています。二人の女性が協力して男を殺しているのです。

ジェンティレスキは十七歳のとき、絵の教師アゴスティーノ・タッシに強姦され、その裁判で拷問を受けながら証言しました。彼女の絵をその経験と結びつける読み方は一般的ですが、それだけに還元するべきではないという議論もあります。

カラヴァッジョの光の処理は「カラヴァッジェスキ」と呼ばれる追随者を生み、スペインとオランダへ伝わりました。

作品が見られる場所

ローマのパラッツォ・バルベリーニ、国立古典絵画館にあります。トレヴィの泉から徒歩十五分ほどです。

  • 休館日は月曜です。開館時間と料金は変更されることがあるため、事前に公式サイトでご確認ください。オンライン予約が可能です。
  • 同じ館にラファエロの『ラ・フォルナリーナ』、ホルバイン、そしてカラヴァッジョの『ナルキッソス』があります。
  • ピエトロ・ダ・コルトーナによる天井画『神慮の勝利』も見上げてください。

この建物自体にも来歴があります。パラッツォ・バルベリーニを建てたのは教皇ウルバヌス8世の一族です。同じ教皇がパンテオンの玄関から青銅を剥ぎ取り、この邸宅の建材にはコロッセオのトラバーチンが使われました。この絵が掛かっている建物は、古代ローマの二つの遺跡から取られた材料でできています。

カラヴァッジョの他の作品は、ローマ市内の教会で無料で見ることができます。サン・ルイジ・デイ・フランチェージ、サンタ・マリア・デル・ポポロ、サンタゴスティーノです。

この絵の前で最後まで残るのは、暴力ではなく手つきです。ユディットは眉をひそめながら、正確に切っています。老女は次の手順を待っています。三人のうち取り乱しているのは、殺されている側だけです。

画像: Giuditta e Oloferne – カラヴァッジョ、1599年頃、パラッツォ・バルベリーニ(ローマ)蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です