ファイティング・テメレール – マストのない船に描かれたマスト
この絵に描かれていることの大半は、実際にはこのとおりには起きていません。テメレール号は最後の航海に出る前、マストも帆桁も索具も外され、ほとんど船体だけの状態になっていました。ターナーはそれを、高いマストを持つ姿で描いています。実際の曳航は二日がかりで、蒸気タグは二隻でした。そして船はテムズ川を西へ遡っていたので、沈む太陽は船の前方にあったはずです。ターナーはそれを後方に置きました。
基本情報
- 作者: J. M. W. ターナー(1775~1851)
- 原題: 解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号、1838年
- 制作: 1838年制作、1839年王立アカデミー出品
- 技法: キャンバスに油彩
- 寸法: 90.7 × 121.6 cm
- 芸術運動: ロマン主義
- 所蔵先: ナショナル・ギャラリー(ロンドン)、収蔵番号NG524
実際に何が起きたのか
テメレール号は1798年に進水した98門の三層甲板艦です。1805年10月21日のトラファルガーの海戦で、ネルソン提督の旗艦ヴィクトリー号のすぐ後方につき、勇敢に戦いました。この一日で、彼女は国民的な船になります。
その後は現役を退き、監獄船や補給船として使われました。1838年8月、海軍本部は解体業者ジョン・ビートソンにこの船を売却します。代金は5,530ポンドでした。
ビートソンは船を自分の解体場まで運ばなければなりませんでした。その前に、船は大幅に軽くされました。マスト、帆桁、索具、そして値の付くものは外され、売られました。テメレール号がテムズ川に入ったとき、それは帆も動力もない、巨大な木の船体に近い状態でした。
1838年9月、二隻の蒸気タグがこの船体を、テムズ河口のシアネスからロンドンのロザーハイズまで曳きました。二日がかりの作業でした。
ターナーが変えたこと
この絵とその出来事を照らし合わせると、変更点がいくつも見つかります。
マストがあります。実際には外されていました。ターナーは船を往年の姿で描き、しかも白く、幽霊のように描きました。
タグが一隻です。実際には二隻でした。一隻にすることで、小さな黒い船が巨大な白い船を引くという対比が成立します。
太陽の位置。船は西へ向かっていました。夕日は進行方向にあったはずです。画面では船の後方、右手に沈んでいます。
そしてターナーがこの光景をその場で見たという確かな証拠はありません。テムズ川の舟の上でスケッチしたという話は、後に広まったものです。
つまりこの絵は記録ではありません。出来事の意味を作るために、出来事を作り直した絵です。
この作品が忘れられない理由
1839年の王立アカデミーで公開されると、反応は即座でした。作家ウィリアム・メイクピース・サッカレーは、この絵を巨匠の作品のなかでも最も見事なものの一つと讃え、黒く煙を吐く小さなタグに、最後の眠りの場所へ引かれてゆく船について書きました。
批評家ジョン・ラスキンもこの絵を深く愛しました。
読み取られる主題は明白です。帆から蒸気へ、木から鉄へ、栄光から解体へ。1838年のイギリスはまさにその転換の只中にありました。
ただし一点、留意する価値があります。ターナー自身は蒸気機関を否定していません。数年後の『雨、蒸気、速度』では、蒸気機関車を画面の主役に据えています。彼が描いたのは新しい時代への嫌悪ではなく、古い時代の終わり方でした。
象徴と見どころ
左右の分割。画面左に白いテメレール号、右に沈む太陽。冷たい色と熱い色が画面を二つに分けています。
白と黒。テメレール号は、実際の軍艦の色ではありません。白く、輪郭が溶け、実体を失いかけています。タグは黒く、輪郭が明確で、赤い火を吐いています。
低い水平線。画面の下のほうに水平線があり、大部分は空です。船も人も、この空の下では小さく見えます。
月。見落とされやすい要素です。夕日と反対側、テメレール号の上の空に、細い月が昇っています。一日が終わる場面であることを、静かに重ねて示しています。
絵具の厚み。夕日の部分は絵具が厚く盛られ、船の部分は薄く塗られています。近づくと、物質の量そのものが違うことがわかります。
J. M. W. ターナーについて
ターナー(1775~1851)はロンドンのコヴェント・ガーデンに生まれました。父は理髪師です。十代で王立アカデミーに入学し、風景画家として早くから成功しました。
晩年に向かうにつれ、彼の画面から形が消えていきます。残るのは光と大気と色です。後の印象派との関係がしばしば語られるのはこのためです。
1851年に没し、遺言により膨大な作品がイギリス国民に遺贈されました。この作品もその一つです。ターナーはこの絵を手放そうとしなかったと伝えられています。
遺産と影響
2005年のBBCラジオの投票で、この作品は「イギリスでもっとも偉大な絵画」に選ばれました。2位はコンスタブルの『ザ・ヘイ・ウェイン』でした。二点は同じ美術館にあります。
2020年2月から、この絵はターナーの自画像とともに、イギリスの20ポンド紙幣の裏面に印刷されています。2024年6月に発行が始まったチャールズ3世の肖像の紙幣でも、裏面の図柄は変わっていません。紙幣の透明な窓の形は、この絵が掛かるナショナル・ギャラリーの前、トラファルガー広場の噴水をもとにしています。多くのイギリス人がこの絵をもっとも頻繁に目にするのは、美術館ではなく財布のなかです。
映画『007 スカイフォール』(2012年)では、ナショナル・ギャラリーでこの絵の前にボンドと新しいQが座る場面があります。老いた軍艦の前で交わされる会話は、時代の交代そのものを語っています。
日本では?
日本でもっとも有名な「ターナー」は、愛媛県松山市の沖合に浮かぶ小さな島かもしれません。
松山の高浜港の沖にある四十島(しじゅうしま)は、高さ18メートル、周囲135メートルほどの、三つの岩からなる小島です。この島は、夏目漱石が1906年に発表した小説『坊っちゃん』に登場します。主人公を連れて釣りに出た「赤シャツ」と「野だいこ」が、船の上から島の松を眺め、こんなやりとりをするのです。「あの松を見給え、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」「全くターナーですね」。こうして二人はこの島を「ターナー島」と名づけます。
以来、四十島は「ターナー島」として広く知られるようになり、2007年には国の登録記念物(名勝地関係)に登録されました。島の松は1977年に松くい虫の被害で枯れてしまいましたが、市民の手で植え直され、今日の姿によみがえっています。
ロンドンで暮らした経験を持つ漱石にとって、ターナーは「名画の風景」を思い浮かべるときの、ごく自然な名前だったのでしょう。『戦艦テメレール』の白い船影と、瀬戸内海の松の島。百年以上を隔てて、ターナーの名は日本の海にも残っています。
作品が見られる場所
ロンドンのナショナル・ギャラリーにあります。トラファルガー広場に面し、常設展示は無料です。
- 展示室の配置は変わることがあります。『雨、蒸気、速度』と同じ展示室に並んでいることが多く、二点を並べて見ると、ターナーが蒸気に対して単純な態度を取っていなかったことがわかります。
- 展示替えと貸出があるため、訪問前に公式サイトでご確認ください。
- ミルバンクのテート・ブリテンに、ターナーが遺贈した作品の多くが収められています。彼の全体像を見るには、そちらも訪ねる価値があります。
この絵の前で最後まで残るのは、哀惜ではなく操作です。ターナーはマストのない船にマストを描き、二隻のタグを一隻にし、太陽を反対側へ移しました。実際の1838年9月に起きたことは、もっと散文的で、もっと手続き的でした。私たちが時代の終わりとして記憶しているのは、彼が作った場面のほうです。
画像: The Fighting Temeraire – J. M. W. ターナー、1839年、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.
