The Birth of Venus by Sandro Botticelli, 1485

ヴィーナスの誕生 – 髪は金で描かれている

ヴィーナスの髪は金です。比喩ではありません。ウフィツィ美術館の解説は、彼女の長い金髪が光を放つのは金を施してあるからだと明記しています。画面の他の箇所にも金が使われています。そしてこの効果は、図版ではまったく伝わりません。光の角度が変わるたびに現れたり消えたりするものだからです。

基本情報

これは誕生の場面ではありません

題名に反しますが、この画面が描いているのは誕生の瞬間ではありません。

ウフィツィ美術館の解説は明確です。描かれているのは、海の泡から生まれた愛と美の女神が、風に運ばれてキプロス島の岸に到着する場面である、と。誕生そのものはすでに終わっています。

『ヴィーナスの誕生』という呼び名は、1550年頃にジョルジョ・ヴァザーリがカステッロの別荘でこの絵を見て、そう記述したことに由来します。制作から六十五年後のことです。

画面に描かれているもの

中央のヴィーナス。巨大なホタテ貝の上に立ち、右手で胸を、左手で長い髪を体に引き寄せています。この姿勢は古代彫刻の「ウェヌス・プディカ」型に基づきます。同じ型の代表例である古代彫刻《メディチのヴィーナス》も、同じウフィツィにあります。

左の二人。抱き合うように飛ぶ有翼の男女です。西風の神ゼフュロスと、おそらくアウラ(微風)。ニンフのクロリスとする説もあります。ウフィツィ自身が「おそらく」と留保しています。

この二人にも出典があります。ウフィツィによれば、彼らの姿はロレンツォ・イル・マニフィコが所有していたヘレニズム期の宝石彫刻に基づいています。漠然と古代に学んだのではなく、手元にあった特定の一点を見て描いたということです。

右の女性。花模様のマントを広げて女神を迎えます。三美神の一人とする説と、春のホーラとする説があります。

薔薇。風とともに舞い散る薔薇も春の徴です。

誰も地面に触れていません

この画面を見るときの手がかりを一つ挙げるなら、足元です。

ヴィーナスの足は貝の上に完全には載っていません。貝は水面に完全には浮かんでいません。ゼフュロスとアウラは空中にいます。右の女性の足も、地面をしっかり踏んではいません。

この浮遊感は画面全体で一貫しており、偶然ではありません。ボッティチェリはこれが現実の場面ではなく神的な出来事であることを、重力を外すことで示しています。

色彩も同じ方向を向いています。肌はやや青みを帯びた白で、生身の人間の色ではありません。海と空の穏やかな青が、その白を際立たせます。

歴史的背景

1480年代のフィレンツェは、メディチ家の庇護のもとで古代の思想を復興させようとしていました。その中心にあったのが新プラトン主義です。美は神的なものの反映であるという考え方のもとで、異教の神話が新しい意味を帯びました。

ここで描かれたヴィーナスは、単なる愛の女神ではありません。精神的な美の象徴として読まれます。

主題を提案したのは、メディチ宮廷の詩人アニョロ・ポリツィアーノだった可能性が高いとされます。彼の詩『スタンツェ』には、この場面に対応する描写があります。

注文主については、長らくロレンツォ・イル・マニフィコとされてきましたが、現在はロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチとする見方が有力です。マニフィコの従弟にあたり、同じくボッティチェリに『春』と『パラスとケンタウロス』を注文した人物です。

ただし断定はできません。1550年以前にこの絵について書かれた記録は一つも存在しないからです。

三百年の忘却

この絵が最初から名画だったわけではありません。

制作後、作品はカステッロの別荘に置かれ、そこで二百五十年ほどを過ごしました。16世紀のヴァザーリが記録して以降、ほとんど言及されていません。ウフィツィに移されたのは18世紀末から19世紀初頭のことです。

理由は様式の変化にあります。レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロが確立した解剖学的な自然主義と空間の壮大さに比べると、ボッティチェリの線的で装飾的な画風は古めかしく見えました。17世紀には彼の名はほとんど忘れられていました。

再評価が始まるのは19世紀です。イギリスのラファエル前派の画家たちが彼の線と憂いを帯びた表情に強く共感し、そこから今日の評価が形成されました。

つまりこの絵の名声は五百年続いているのではなく、およそ百五十年のものです。

サンドロ・ボッティチェリについて

本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ。1445年頃フィレンツェに生まれました。「ボッティチェリ」は小樽を意味するあだ名に由来します。

最初は金細工師のもとで修業しました。この経験が、後の作品における線の扱いと金彩の使用に関係しているとみられます。その後フィリッポ・リッピに師事し、メディチ家の周辺で活動するようになります。

1490年代に入ると、修道士サヴォナローラの説教がフィレンツェを席巻します。ボッティチェリがその影響を受けて異教的な作品を否定し、自作を焼いたという話が伝わりますが、これはヴァザーリの記述に基づくもので、確実な裏づけはありません。

1510年、フィレンツェで没しました。

遺産と影響

この作品は、宗教画以外の主題で等身大の裸体を大画面に描いた、ルネサンス期でも早い例のひとつです。その後のヨーロッパ絵画における裸体表現の方向を示しました。

現代においては、引用されすぎた結果として本来の姿が見えにくくなっている作品でもあります。広告、ファッション、ポップアート、そして無数のパロディが、この構図を借用してきました。

作品が見られる場所

フィレンツェのウフィツィ美術館、ボッティチェリの部屋(10~14室)にあります。

  • 同じ部屋に『春(プリマヴェーラ)』があります。二点を並べて見られるのはここだけです。ただし両者が同じ機会に制作されたという古い説は、技法と様式の違いから現在では支持されていません。
  • 同室には『東方三博士の礼拝』『パラスとケンタウロス』、そしてフーゴー・ファン・デル・グースの『ポルティナーリ祭壇画』もあります。
  • 開館は火曜~日曜、8時15分から18時30分まで。月曜休館です。
  • 入場料は季節によって変動します。事前のオンライン予約を強く推奨します。春から夏は長い行列ができます。
  • 同館にレオナルドの『受胎告知』、ラファエロ、カラヴァッジョの作品があります。

見るときの一つの助言。この絵の前では、少し左右に体を動かしてみてください。髪の金彩は正面からだけでは見えません。光が斜めに当たったときにだけ現れます。図版で何百回見ていても、そこで初めて見るものがあります。

この絵の前で最後まで残るのは、美しさではなく重さの不在です。誰も地面に触れておらず、彼女の視線はどこにも定まっていません。ボッティチェリが描いたのは到着の瞬間ですが、まだ何も着地していません。

画像: Nascita di Venere – サンドロ・ボッティチェリ、1484~85年頃、ウフィツィ美術館蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.

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