ダンス教室 – この稽古場は焼失した後に描かれた
この稽古場は存在しません。画面の内装はパリ・オペラ座の旧館、ル・ペルティエ通りの建物の稽古場です。ところがその建物は1873年10月に焼失しました。この絵が完成する前のことです。ドガは、すでに失われた部屋を描いています。そして描かれた試験の場面そのものも、ドガは一度も見たことがありませんでした。
基本情報
- 作者: エドガー・ドガ(1834~1917)
- 制作年: 1874年(同年11月に注文主へ引き渡し)
- 技法: 油彩・キャンバス
- 寸法: 83.5 × 77.2 cm
- 注文主: オペラ歌手(バリトン)ジャン=バティスト・フォール
- 芸術運動: 印象主義
- 所蔵先: メトロポリタン美術館(ニューヨーク)
この絵は組み立てられています
ドガは稽古場でイーゼルを立てて描いたのではありません。
描かれているのは、バレエ団の踊り子たちの試験の場面です。ところがドガは、こうした試験を実際に見たことがありませんでした。メトロポリタン美術館によれば、彼はこの絵のために、アトリエで踊り子たちにポーズを取らせ、数えきれないほどの素描を重ねています。
彼の方法は、素描を大量に蓄積し、アトリエでそれらを組み合わせることでした。同じ人物が複数の作品に現れます。自分の素描を写し取り、別の構図に移植していたからです。
つまりこの画面にいる少女たちは、同じ日に同じ部屋にいた人々ではありません。
そして部屋そのものも記憶と再構成の産物です。冒頭に述べたとおり、ル・ペルティエ通りのオペラ座は1873年に焼け落ちました。新しいガルニエ宮が開場するのは1875年です。この絵が仕上げられた1874年、パリ・オペラ座には本拠地がありませんでした。
ドガが描いたのは、目の前の光景ではなく、失われた空間の再建です。メトロポリタン美術館自身、この場面を「想像上の場面」と説明しています。名画に描かれた光景が、じつは画家が見たことのないものだった例は、教科書が印刷された後に判明した、名画についての新発見でも取り上げています。
この作品が忘れられない理由
画面にはおよそ二十四人の女性がいます。踊り子たちと、その母親たちです。そのなかで踊っているのは、試験のために「アティテュード」のポーズを取っている一人だけです。
残りの少女たちは何もしていません。背中を掻き、首をひねり、椅子にもたれ、扇を弄び、身なりを整えています。番が回ってくるのを待っているだけです。
当時のバレエ絵画は、舞台の上の完成された瞬間を描くものでした。ドガはその手前を選びました。
そして構図が特異です。中央は空いています。人物は画面の左右に押しやられ、真ん中の床が広く開いています。視線は自然に奥へ引き込まれます。
この空白の作り方は、彼が熱心に収集していた日本の版画から学んだものとされます。広重の『大はしあたけの夕立』で橋が画面の端で切れているのと同じ原理です。
見どころ
中央の老人。杖を持って立つ人物は、19世紀ヨーロッパを代表する舞踊家・バレエマスターのジュール・ペローです。ドガは1874年に彼の姿を素描しており、その一枚はいまケンブリッジのフィッツウィリアム博物館にあります。実際の試験の記録ではなく、画家による配置です。
壁の貼り紙。鏡の横の壁に、ロッシーニのオペラ『ギヨーム・テル(ウィリアム・テル)』のポスターが貼られています。この絵を注文したバリトン歌手フォールへの、ドガからの目配せです。
母親たち。画面には踊り子だけでなく、その母親たちも描かれています。
この存在には意味があります。当時のオペラ座では、バレエ学校の少女たちのもとに「アボネ」と呼ばれる定期会員の裕福な男性たちが出入りしていました。少女と彼らの関係を取り持ったのは、しばしば母親でした。稽古場に付き添う母親は、娘を守る者であると同時に、娘の将来を交渉する者でもありました。
ドガの他のバレエ作品には、舞台袖に立つ黒服の男がしばしば描かれています。
光。左の窓からの光がチュチュの白を透かし、奥の壁は暗く沈んでいます。
床。斜めに走る板の線が奥行きを作り、同時に画面を不安定にしています。
歴史的背景
この絵が描かれた1874年の4月、パリで第1回印象派展が開かれました。ドガも参加しています。ただし彼は自分を印象派とは呼ばず、戸外制作を好みませんでした。彼が求めたのは光の印象ではなく、動きの構造です。
当時のバレエ学校の生徒は「プティ・ラ(小さなネズミ)」と呼ばれていました。多くは労働者階級の出身で、家計を支えるために踊っていました。訓練は過酷で、賃金は低いものでした。
ドガのバレエ作品を華やかな主題として見ると、重要な部分が抜け落ちます。彼が描いたのは芸術であると同時に、労働でした。
二枚の『ダンス教室』
ほぼ同じ主題の作品が二点あります。メトロポリタン美術館は、この二点を、ドガが舞踊を主題に描いたなかでもっとも野心的な作品としています。混同されやすいので整理しておきます。
オルセー美術館版。1873年に描き始められ、1875~76年に完成。ドガはこれを1874年の第1回印象派展に出すつもりでしたが、出品しませんでした。
本作(メトロポリタン美術館)。1872~73年にフォールが注文し、二年ほどの断続的な制作を経て、1874年11月に引き渡されました。ドガが生涯に引き受けた、数少ない注文制作の一つです。フォールはこの絵を、1876年の第2回印象派展に貸し出しています。
本作を仕上げてフォールに渡したあと、ドガは先に描き始めていたオルセー版に戻り、大幅に手を入れました。そのため二点の制作時期は入り組んでいます。構図はよく似ていますが、人物の配置と数が異なります。
エドガー・ドガについて
ドガ(1834~1917)はパリの裕福な銀行家の家に生まれました。ルーヴルで古典を徹底的に模写した後、現代の主題へ移ります。
彼が生涯繰り返したのは、動きを止めずに捉えるという課題でした。バレエ、競馬、洗濯女、カフェ。いずれも身体の運動が主題です。カフェの片隅でうつろに座る女性を描いた『アプサント』のモデル、女優エレン・アンドレは、ルノワールの『ボート・パーティーの昼食』にもグラスを手にした姿で登場します。
晩年、視力が低下し、パステルと彫刻へ重心を移しました。生前に公開した彫刻は『14歳の小さな踊り子』一点のみです。その作品のモデル、マリー・ヴァン・ゴーテムも、この絵に描かれたような稽古場にいた少女の一人でした。
遺産と影響
斜めの視点、画面端での切断、中央の空白。これらはのちの写真や映画の構図にも通じるものです。
そしてバレエを、舞台の華やかさではなく、待つことと働くことの時間として描いたという点も、後の美術に引き継がれています。
作品が見られる場所
ニューヨークのメトロポリタン美術館にあります。セントラルパーク沿い、5番街82丁目です。
- 地下鉄4・5・6号線の86丁目駅から徒歩十分ほどです。
- 入場料について一点ご注意ください。「希望額を払う」方式は、ニューヨーク州の住民と近隣州の学生にのみ適用されます。海外からの来館者は所定の金額を支払う必要があります。
- 開館時間は変更されることがあるため、事前に公式サイトでご確認ください。
- 同館にはドガのパステルや素描、そして『14歳の小さな踊り子』のブロンズ版もあります。
オルセー版を見るにはパリへ行くことになります。二点を並べて見る機会は、大規模な回顧展に限られます。
この絵の前で最後まで残るのは、待っている時間です。踊っているのは一人で、他の少女たちは何もしていません。そして壁際では母親たちが娘を見守っています。ドガが描いたのは、バレエが起きる前と後の、大部分を占める時間です。それも、彼自身が一度も見たことのない、すでに焼け落ちた部屋のなかで。
画像: The Dance Class – エドガー・ドガ、1874年、メトロポリタン美術館蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.
