接吻 – 国が未完成のまま買い取った絵
1908年6月1日、ウィーンの美術展クンストシャウが開幕したとき、この絵はまだ完成していませんでした。写真家モリツ・ネーアが撮影した会場写真には、特に左下部分に未完成の箇所が写っています。それでも同年7月10日、モデルネ・ギャラリーの委員会はこの未完成の作品を25,000クローネで購入することを決定しました。当時この館が絵画に支払った最高額です。クリムトは展覧会終了後に仕上げることを書面で約束し、美術館が完成品を受け取ったのは翌1909年7月22日でした。
基本情報
- 作者: グスタフ・クリムト(1862~1918)
- 制作年: 1908/09年(ベルヴェデーレの表記)
- 出品時の題名: 『恋人たち(Liebespaar)』
- 技法: キャンバスに油彩、金箔・銀箔・プラチナ箔
- 寸法: 180 × 180 cm(正方形)
- 芸術運動: アール・ヌーヴォーに分類されますが、ウィーン分離派・象徴主義の要素も強い作品です
- 所蔵先: ベルヴェデーレ宮殿(上宮)、ウィーン
足元を見てください
この絵でもっとも語られない部分が、女性の足元です。
彼女は花咲く草地の縁に跪いています。そしてその縁から外に出ているのは、足の指だけです。その先には何もありません。金色の空白が広がっているだけです。
手も見てください。彼女の指は、男性の手に添えられていますが、力が入っています。顔は横を向き、目は閉じられています。
この絵を、愛の完全な融合として読むのが一般的です。しかし近年の解釈には別のものもあります。これは結合の瞬間ではなく、一方が身を引く直前の瞬間ではないか、という読み方です。
どちらが正しいかは決められません。ただ、この画面が単純な幸福の絵ではないことは、足の指と手の緊張が示しています。
この作品が忘れられない理由
まず金です。クリムトは金箔だけでなく銀箔とプラチナ箔を部分ごとに使い分け、幾層にも重ねました。照明の角度によって輝き方が変わるため、この効果は写真では再現できません。実物の前でしか起きないことです。
次に模様です。男性の衣には黒と白の長方形が並び、女性の衣には円と花と楕円が散っています。二人は一つの金色の形に包まれていますが、その内側では別々の文様を持ち続けています。個が溶けきらないまま重なっている状態です。
男性の頭には蔦の冠があります。これはディオニュソスに連なる異教の図像です。同時に背景の金は、ビザンティンのイコンの光背に由来します。異教と聖性が一枚の中で重なっています。
金はどこから来たか
1903年、クリムトは二度ラヴェンナを訪れ、サン・ヴィターレ聖堂のビザンティン・モザイクを見ました。空間を溶かしてしまう金色の地に、彼は強い衝撃を受けます。
ただし、金の起源を一つの旅に還元するのは正確ではありません。彼の父と、十年ほど前に亡くなった弟エルンストは、いずれも金彫刻師でした。そこに日本の浮世絵、中世の金工、ウィーン工房の装飾的な志向が重なっています。突然の啓示ではなく、いくつもの流れの合流と見るほうが実情に近いでしょう。
この時期は「黄金時代」と呼ばれ、この作品はその頂点に位置づけられます。
歴史的背景
1900年前後のウィーンは、フロイトが無意識を論じ、マーラーが交響曲を書き、建築と工芸が一斉に変わろうとしていた都市でした。
クリムトはウィーン分離派を創設し、アカデミズムに正面から対立しました。ウィーン大学のために描いた三点の学部絵画は激しい非難を浴び、彼は依頼を取り下げて報酬を返しています。
そうした対立の後にこの絵が現れ、国家が最高額で買い取ったという事実は、当時としては劇的な逆転でした。
モデルは誰か
確定していません。
クリムト自身と生涯の伴侶エミーリエ・フレーゲとする説が最も有名ですが、本人が認めた記録はありません。「赤毛のヒルダ」と呼ばれたモデルを挙げる説もあります。ベルヴェデーレ自身、人物の特定はできないという立場です。
グスタフ・クリムトについて
クリムト(1862~1918)はウィーン郊外バウムガルテンで、金彫刻師の子として生まれました。ウィーン工芸美術学校で学び、当初は劇場装飾などの仕事で成功します。
1897年にウィーン分離派を創設。「時代にはその芸術を、芸術には自由を」という言葉が分離派会館に刻まれました。
1918年1月11日に脳卒中で倒れ、その後肺炎を併発して2月6日に没しました。55歳でした。当時ヨーロッパではスペイン風邪が流行していました。
この絵がたどった道
1908年に国家が購入して以来、この作品はオーストリアの所有です。
第二次世界大戦中、オーストリアの美術品は各地に疎開されました。1945年5月、退却するSS部隊がイメンドルフ城に火を放ち、そこに保管されていた作品群が失われます。その中にはクリムトの学部絵画三点が含まれていました。『接吻』は別の場所に保管されており、無事でした。
戦後、上宮の再開館とともに常設展示に戻り、以後ほとんど貸し出されていません。この作品を見るにはウィーンに行くしかありません。
遺産と影響
装飾と象徴を融合したこの様式は、20世紀のグラフィックデザインと工芸に深く入り込みました。エゴン・シーレやオスカー・ココシュカは、クリムトの周辺から出発して別の方向へ進んだ画家たちです。
現在この絵は、世界でもっとも複製された西洋絵画の一つです。ただしその複製のほとんどは、実物の最大の特徴である金の反射を伝えられません。
作品が見られる場所
ウィーンのベルヴェデーレ宮殿・上宮にあります。この美術館は世界最大のクリムト・コレクションを持ち、24点を所蔵しています。
- 開館時間と料金は変更されることがあるため、事前に公式サイトでご確認ください。曜日によって閉館時刻が異なります。
- オンラインでの事前予約を推奨します。
- 平日午前が最も空いています。
- 同じ館にエゴン・シーレ、オスカー・ココシュカ、そしてファン・ゴッホの『オーヴェールの平原』があります。
- バロック様式の庭園から下宮まで歩けます。
この絵の前で最後まで残るのは、金の輝きではなく縁です。二人が立っているのは平地ではなく、草地が途切れる場所です。その先には何もありません。クリムトは、もっとも幸福に見える瞬間を、落ちる直前の位置に置きました。
画像: Der Kuss – グスタフ・クリムト、1908/09年、ベルヴェデーレ宮殿蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.
