The Creation of Adam by Michelangelo, 1512

アダムの創造 – ミケランジェロは寝て描いていない

ミケランジェロがこの場面を描くのに要したのは十六日です。フレスコは湿った漆喰の上に描く技法のため、一日で塗り終える区画に分けて作業します。これをジョルナータと呼びます。『アダムの創造』は十六のジョルナータで構成されています。まず神と周囲の天使たちを描き、次にアダムを描きました。今も画面にはその区画の継ぎ目が残っています。

基本情報

もっとも広く信じられている誤解

ミケランジェロが仰向けに寝て天井を描いたという話は事実ではありません。

彼は立って描きました。ブラマンテが提案した吊り足場を断り、自ら設計した足場の上で、床から二十メートルの高さに、頭を後ろへ反らせた姿勢で作業しました。

証拠は彼自身が残しています。1509年頃、友人ジョヴァンニ・ダ・ピストイアに宛てたソネットに、彼はこう書いています。首に瘤ができ、腹が顎の下まで押し上がり、髭が天を向き、背骨が弓のように曲がった、と。そして決定的な一節があります。頭上に掲げた筆から絵具が落ち続けて顔をモザイクの床に変える、というものです。

仰向けであれば、絵具が顔に落ちてくることはありません。しかもこのソネットには彼自身が描いた挿絵が添えられており、それは立って腕を上へ伸ばした人物の姿です。

仰向けで描いたという話は、1961年のアーヴィング・ストーンの小説と1965年の映画『華麗なる激情』から広まったものです。

この作品が忘れられない理由

核心は触れていない二本の指です。神の指は伸びきり、アダムの指は力なく垂れています。その間の数センチがこの絵のすべてです。生命がまだ渡っていない状態、これから起きることとまだ起きていないことのあいだです。

アダムの右手をよく見てください。指先が下に垂れています。彼は手を差し出しているのではなく、腕を持ち上げる力がまだない状態です。能動性は神の側にしかありません。

構図も注目に値します。中世美術において神は人間より大きく、圧倒的に描かれてきました。ここでは二つの存在がほぼ同じ大きさ、ほぼ対称に配置されています。創世記の一節、神が自らの像に似せて人を造ったという文を、視覚的に押し進めた結果です。

ただし一点。この場面は天井の中央ではありません。九つのパネルの真ん中に置かれているのは『イヴの創造』です。

象徴と見どころ

二人の対比。左のアダムは岩に寄りかかり、体に力がありません。右の神は赤いマントに包まれ、天使たちとともに飛来します。一方は静的で、一方は動的です。

マントの形。神と天使たちを包む赤い形が、人間の脳の矢状断面と類似しているという指摘があります。1990年、アメリカの外科医フランク・リン・メッシュバーガーが医学雑誌『JAMA』に発表した解釈です。彼はマントの外郭線を脳の側面輪郭に、下方へ流れる帯を脳底動脈に、緑のスカーフを椎骨動脈に対応させました。ミケランジェロが遺体解剖を通じて人体を研究していたことは事実ですが、この形が意図されたものかを確認する方法はありません。子宮と胎盤の形として読む解釈も併せて提起されています。

神の左腕の下。若い女性が神を見上げています。まだ創造されていないイヴと見る見解が最も広く受け入れられており、聖母マリアであり神の指の下の子がキリストだとする解釈もあります。

光。光源は左上から差し込みます。神の側から光が来るように設計されています。

歴史的背景

1508年、教皇ユリウス2世はミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の天井を任せました。彼はこの仕事を望んでいませんでした。自分を彫刻家と考えており、フレスコの経験も多くありませんでした。ブラマンテとラファエロが、彼が失敗することを願って教皇にこの仕事を任せるよう仕向けたという話も伝わっています。

当初の注文は十二使徒を描くことでした。ミケランジェロはこれを、創世記九場面と預言者、巫女、裸体像を含むはるかに大規模な構成へと変えてしまいます。登場人物は三百人を超えます。

四年の作業を経て、天井は1512年10月31日に公開されました。

同じ時期、数十メートル離れた場所でラファエロが『アテナイの学堂』を描いていました。ラファエロは完成前のこの天井をどうにかして見て、衝撃を受け、自分の壁画に人物を一人追加しました。ミケランジェロをモデルにしたヘラクレイトスです。

ミケランジェロについて

ミケランジェロ・ブオナローティ(1475~1564)はカプレーゼに生まれ、十三歳でドメニコ・ギルランダイオの工房に入り、メディチ家の庇護のもとで成長しました。

『ピエタ』と『ダヴィデ像』ですでに彫刻の巨匠として認められた状態で、この天井画を引き受けました。彼が自分を紹介するときに使った肩書きは、常に彫刻家でした。

1564年、八十八歳で世を去りました。

いま見ている色は四十年前のものです

数百年のあいだ、この天井は蝋燭の煤と過去の補修に使われた膠で覆われていました。人々が知っていたミケランジェロの色は、暗く沈んだものでした。

1980年から1994年にかけて大規模な修復が行われました。費用を負担したのは日本テレビです。洗浄の結果現れた色は、予想をまったく超えるものでした。明るいピンク、黄緑、オレンジが画面を満たしていたのです。

論争が起きました。一部の学者は、汚れを落とすと同時にミケランジェロが最後に加えた仕上げの層まで除去したと主張しました。結論は出ていません。

付け加えると、システィーナ礼拝堂で写真撮影が禁止されている理由もここにあります。修復費用を出した日本テレビと結ばれた映像使用権の契約によるものです。

遺産と影響

ほとんど触れ合う二本の指は、今日一つの視覚的慣用句になりました。広告、映画ポスター、タトゥー、インターネットのミームで際限なく変奏されています。1982年の映画『E.T.』のポスターもその一つです。

解釈は時代によって変わりました。ルネサンス期の読みでは神と人間が互いへ近づく場面でしたが、近代以降はアダムが神から独立する場面として読む見方も現れました。指が触れないという事実が、両方の解釈を許しています。

作品が見られる場所

バチカン美術館の観覧順路の最後にシスティーナ礼拝堂があります。単独での入場はできず、美術館のチケットに含まれます。

  • オンラインでの事前予約が事実上必須です。当日の待ち時間は数時間に及ぶことがあります。
  • 開館直後か遅い午後が比較的空いています。
  • 肩と膝を覆う服装が必要です。
  • 写真撮影は禁止です。先に述べた契約によるもので、警備員が随時制止します。同時に静粛を求める案内が数分おきに流れます。静かな瞑想の空間を期待して行かれると、想定と異なります。
  • 首が痛くなります。壁際のベンチが空いていれば、座って見上げてください。
  • この場面だけを見て出ないでください。九つのパネルと祭壇壁の『最後の審判』が同じ空間にあります。

同じ美術館のなかにラファエロの間があります。順路上システィーナ礼拝堂より先に通るようになっているため、『アテナイの学堂』を見てからここへ来ると、二つの壁画が同じ時期に同じ建物で競い合いながら描かれたことが実感できます。

この絵の前で最後まで残るのは、完成ではなく間隔です。ミケランジェロは創造された瞬間ではなく、創造される直前を選びました。アダムの指にはまだ力がなく、神の指はまだ届いていません。五百年のあいだ、その数センチは縮まっていません。

画像: Creazione di Adamo – ミケランジェロ、1511年頃、システィーナ礼拝堂。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.

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