叫び – 雲のなかにムンクが書き入れた一行
この絵の左上、赤い雲のなかに、鉛筆で書かれた一文があります。「狂人にしか描けない」。1904年のコペンハーゲン展でデンマークの批評家が見つけて以来、百年以上にわたって、怒った来館者による落書きだと考えられてきました。2021年、ノルウェー国立美術館が赤外線で筆跡を分析した結果、その文字はムンク自身のものでした。
基本情報
- 作者: エドヴァルド・ムンク(1863~1944)
- 制作年: 1893年
- 技法: 厚紙に油彩・テンペラ・パステル
- 寸法: 91 × 73.5 cm
- 版: 1893~1910年に絵画2点、パステル2点、そして複数の版画が制作されました
- 芸術運動: 表現主義
- 所蔵先: ノルウェー国立美術館(オスロ)
叫んでいるのは人物ではありません
この点は最初に確認しておく価値があります。
ムンクは1892年1月22日の日記にこう書いています。二人の友人と道を歩いていた、日が沈みかけていた、突然空が血のように赤くなった、自分は不安に震えてその場に立ち止まった、そして自然を貫く果てしない叫びを感じた、と。
彼が用いたドイツ語の題名は『自然の叫び(Der Schrei der Natur)』でした。
つまり中央の人物は声を出しているのではなく、どこかから聞こえてくる音から耳を塞いでいるのです。開いた口は叫びではなく、恐怖の表情です。
赤い空の正体
この空については二つの説があります。
一つは1883年のクラカタウ火山の噴火です。噴煙が成層圏に達し、その後数か月にわたってヨーロッパ各地で血のような夕焼けが観測されました。ただし絵が描かれた時期とは九年の隔たりがあります。
もう一つは真珠母雲です。ノルウェーで冬に現れる高層の雲で、波打つように層をなし、虹色に光ります。その形状はこの画面ときわめてよく似ています。
その場所について
体験の舞台となったエーケベルグの丘は、中立的な場所ではありませんでした。
丘の下には食肉処理場がありました。そして近くにはガウスタ精神病院があり、ムンクの妹ラウラがそこに入院していました。
散歩の途中で聞こえてくる音が何であったのかを考えるとき、この地形は無関係ではありません。
見どころ
空。赤と橙が渦を巻いて画面上部を占めます。夕焼けの描写ではなく、精神状態の外部化として読まれてきました。
人物の輪郭。顔は骸骨のように細長く、体の線は背景の渦と溶け合っています。人物と自然の境界が曖昧になっており、自我の溶解として解釈されます。
後方の二人。橋の上に立つ黒い影は、何事もなかったかのようにこちらに背を向けています。日記に出てくる「二人の友人」です。彼らの無関心が、中央の人物の孤立を際立たせます。
橋の手すり。左下から画面奥へ伸びる直線が、渦巻く曲線と衝突します。混乱する内面と冷たい現実が一つの画面でぶつかる構造です。
そして左上の文字。肉眼でも見えますが、見分けるのは容易ではありません。実物の前に立たれるなら、左上を探してみてください。
雲のなかの一文
1895年、ムンクは故郷クリスチャニアで初めてこの絵を公開しました。反応は芳しくありませんでした。ヨハン・シャルフェンベルクという医学生が、公然と彼の精神状態を問題にしたほどです。
その頃、ムンクは完成した絵の雲のなかに、鉛筆で一文を書き入れました。狂人にしか描けない、という文です。
2021年の国立美術館の調査がこれを確認しました。キュレーターのマイ・ブリット・グーレングは、ムンクの日記と手紙に残る筆跡をこの一文と単語単位、文字単位で照合しました。保存修復家ティエリー・フォードは、顕微鏡観察により鉛筆の線が絵具層の上に物理的に載っていることを確認しています。絵の完成後に書かれたということです。
グーレングの解釈はこうです。ムンクはこの一文を雲のなかに書き込むことで、自分がどう認識されるかを自ら掌握した。非難を否定するのではなく、自分の絵のなかに取り込んだのです。
四つの版のうち、この文がある版はオスロ国立美術館所蔵のこの作品だけです。
エドヴァルド・ムンクについて
ムンクは1863年、ノルウェーのローテンに生まれました。五歳で母を、十四歳で姉ソフィーを結核で失っています。もう一人の姉ラウラは精神疾患で長く入院していました。
彼は自らの不安についてこう書いています。記憶にあるかぎり常に深い不安に苛まれ、それを芸術で表現しようとしてきた、この不安と病がなければ自分は舵のない船のようだっただろう、と。
オスロで美術を学んだのちパリとベルリンを行き来し、愛と恐怖と死を扱う連作『生命のフリーズ』を発展させました。この作品はその中核です。
1908年に神経衰弱でコペンハーゲンの療養所に入院し、以後の画面はいくらか明るくなります。1944年、オスロ郊外エケリーで八十歳で没しました。
遺産と影響
この作品は20世紀の表現主義の土台となりました。エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー、エゴン・シーレ、そしてフランシス・ベーコンが、この系譜のうえにいます。
盗難は二度ありました。1994年、リレハンメル冬季五輪の開会日に国立美術館所蔵版が盗まれ、同年中に回収されています。2004年にはムンク美術館所蔵版が『マドンナ』とともに武装強盗に奪われ、2006年に損傷した状態で戻りました。
1895年のパステル版は2012年のサザビーズで約1億1,990万ドルで落札され、当時の競売最高額を記録しました。
作品が見られる場所
1893年版はオスロのノルウェー国立美術館にあります。2022年に新館へ移転して再開館し、オスロ市庁舎の近く、フィヨルドを見下ろす場所に建っています。
- 開館時間と休館日、料金は変更されることがあるため、訪問前に公式サイトでご確認ください。
- 繁忙期は待ち時間が生じます。事前予約を推奨します。
- 『マドンナ』は別の美術館にあります。同じオスロのムンク美術館(MUNCH)で、2021年にビョルヴィカ地区の新館へ移転しました。『叫び』の別の版もこちらにあります。
- パステル版の一点は個人所蔵で、公開されていません。
つまりオスロでは二つの館を回ることになります。国立美術館とMUNCHは徒歩圏内ではないため、時間に余裕を持たせてください。
この絵の前で最後まで残るのは、叫びではなく沈黙です。音を出しているのは自然であり、人物はそれを塞いでいます。そしてその上の雲のなかに、画家が自分自身について書き入れた一行が、百三十年ものあいだ残っています。
画像: Skrik – エドヴァルド・ムンク、1893年、ノルウェー国立美術館蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.
