Luncheon of the Boating Party by Pierre-Auguste Renoir, 1881

ボート・パーティーの昼食 – 描かれた人々のほとんどの名前がわかっている

この絵に描かれた人々は、そのほとんどの名前がわかっています。印象派の絵画としては異例のことです。左手前で小犬を抱いているのは二十一歳のお針子アリーヌ・シャリゴ、後にルノワールの妻になる女性です。右手前で椅子に後ろ向きに跨っているのは画家ギュスターヴ・カイユボット。奥のシルクハットの男は美術史家で収集家のシャルル・エフリュシ、プルーストの小説の登場人物スワンのモデルの一人とされる人物です。全員が、ルノワールの友人でした。

基本情報

誰が描かれているか

主要な人物を挙げます。

アリーヌ・シャリゴ。左手前、小犬に話しかけている女性です。当時二十一歳のお針子で、ルノワールとは1890年に結婚します。

ギュスターヴ・カイユボット。右手前、麦わら帽子で椅子に跨っている男性です。画家であり、船乗りであり、そして仲間の画家たちの作品を買い支えた資産家でした。彼の遺贈がなければ、フランスの国立美術館に印象派の作品が入るのは大幅に遅れていたはずです。ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』がいまオルセー美術館にあるのも、彼の遺贈によるものです。

アルフォンス・フルネーズ(子)。画面左、袖なしシャツで手すりにもたれている男性。この店の経営者の息子です。

アルフォンシーヌ・フルネーズ。その妹。手すりに寄りかかっています。

エレン・アンドレ。グラスを口に運ぶ女優。ルノワールのほか、マネやドガのモデルも務め、ドガの『アプサント』でうつろに座っている女性と同一人物です。

アンジェル。右手前、ルノワールがたびたび描いたモデルです。立っているジャーナリストのマッジョーロのほうへ顔を向けています。

シャルル・エフリュシ。奥でシルクハットをかぶった男性。美術批評家で収集家、美術雑誌『ガゼット・デ・ボザール』の中心人物でもありました。この場にいる誰よりも正装しています。

ジュール・ラフォルグ。エフリュシと話している若者とされます。詩人であり、当時エフリュシの秘書でした。

ほかにも、内務省の役人で絵のモデルも務めたウジェーヌ=ピエール・レストランゲ、画家のポール・ロートらが描かれています。

職業も階級もばらばらです。お針子、女優、実業家、詩人、役人、記者、店の子どもたち。この混在自体が、1880年のパリ郊外の休日でした。

この作品が忘れられない理由

十数人を一つの画面に置きながら、全員が別のことをしています。会話し、飲み、身を乗り出し、犬をあやし、遠くを見ています。にもかかわらず画面はばらけません。

統一しているのは光です。テラスに張られた日除けを通した光が全体を覆い、白いテーブルクロスと男たちのシャツがその光を反射しています。

そして構図には対角線があります。斜めに走る手すりが画面を二つに分け、テーブルの縁が視線を奥へ導きます。私たちはこの場面を外から眺めるのではなく、その中へ引き込まれます。

よく見ると、昼食の皿はほとんど描かれていません。ルノワールが描いたのは食事そのものではなく、食べ終えたあとの、誰もがくつろいで話し込んでいる時間です。

この絵は一度で描かれていません。ルノワールは1880年の夏に現地で描き始め、構成を変えながら、最終的にアトリエで仕上げました。2016年にはフィリップス・コレクションが技術調査を行い、制作の過程で画面に手が加えられていった跡が確かめられています。

見どころ

テーブルの上。ワインの瓶、ぶどう、果物、そしてグラス。ルノワールはこの静物の部分を、人物と同じ密度で描いています。白いクロスは、周囲の色を映して輝いています。

赤。麦わら帽子のリボン、日除けの縞、女性の帽子の花。赤が画面全体に点々と配置され、視線を循環させています。

手すりの向こう。セーヌ川の水面と、小舟が見えます。さらに遠くには鉄道橋と、郊外に建ちはじめた新しい家々。短い筆致で処理されており、人物のいる前景とは描き方が違います。

カイユボットの姿勢。椅子に後ろ向きに跨り、腕を背もたれに預けています。当時としてはくつろぎすぎた姿勢です。彼は画面のなかで最も力の抜けた人物です。

歴史的背景

1880年前後のパリでは、鉄道の発達により市民が週末に郊外へ出るようになりました。シャトゥーはその行き先の一つで、ボート遊びと川辺の食事が目当てでした。

メゾン・フルネーズは、船大工だったアルフォンス・フルネーズが1857年に開いた、ボートの貸し出しとレストランと宿を兼ねた店で、画家や作家が集まる場所でした。

この作品は1882年の第7回印象派展に出品されました。

ただし当時のルノワールは、印象派の方法に行き詰まりを感じていました。この絵を仕上げた1881年の秋、彼はイタリアへ旅立ちます。

これが最後でした

イタリアでルノワールが見たのは、ラファエロの壁画とポンペイの古代絵画でした。

帰国後、彼の画風は変わります。輪郭がはっきりし、形が硬くなり、色の混ざりが減ります。この時期は「乾いた様式」と呼ばれます。

つまりこの作品は、ルノワールが印象派の方法で描いた最後の大作の一つです。

数年前のモンマルトルの休日は、『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』に描かれています。二点を並べると、彼が五年で何を積み上げ、そしてどこで立ち止まったかが見えます。

エフリュシとプルースト

奥のシルクハットの男、シャルル・エフリュシは、プルーストの『失われた時を求めて』の主人公の一人、シャルル・スワンのモデルの一人とされます。スワンは小説のなかで、フェルメールの研究に打ち込む洗練された収集家として描かれています。そしてプルースト自身がもっとも愛した絵が、フェルメールの『デルフト眺望』でした。

シャトゥーのテラスで休日を楽しむこの男は、やがて二十世紀を代表する小説のなかに、別の名前で生き続けることになります。

ピエール=オーギュスト・ルノワールについて

ルノワール(1841~1919)はリモージュに生まれ、少年期に磁器の絵付け職人として働きました。この経験が、後の滑らかな肌の描写につながったとされます。

パリでモネ、シスレー、バジールと出会い、1874年の第1回印象派展に参加しました。

晩年は重いリウマチに苦しみ、変形した手に筆を固定して描き続けました。1919年に没しています。

12万5千ドル

この絵がアメリカにある経緯には、一人の人物が関わっています。

ダンカン・フィリップスは、何年もかけてこの絵を追い求め、1923年、ルノワールの画商から125,000ドルで購入しました。当時としては驚くべき金額です。

購入を決めた直後、彼はパリから自館の会計担当者に宛てて、興奮した手紙を書いています。自分の美術館は世界でもっとも偉大な絵の一つを所有することになる、この絵はほかのすべての所蔵品を合わせたよりも多くの関心と支持を集めるだろう、こうした絵は、どこへ行ってもセンセーションを巻き起こすのだ、と。

フィリップスは1921年、ワシントンのデュポン・サークルの自宅を公開して美術館を開いていました。アメリカで最初期の近代美術館です。彼はルノワールの作品をまとめて集めるつもりでしたが、この一点が世界中から人々を引き寄せるのを見て、自分に必要なルノワールの大作はこれだけだと考えるようになりました。2017年から2018年にかけて、同館はこの一点だけに焦点を当てた、初めての展覧会を開いています。

作品が見られる場所

ワシントンD.C.のフィリップス・コレクションにあります。デュポン・サークル地区の、もとは個人の邸宅だった建物です。同館でもっとも多くの人が訪れる作品です。

  • 開館時間と料金、休館日は変更されることがあるため、訪問前に公式サイトでご確認ください。
  • 規模は大きくありませんが、ゴッホ、セザンヌ、ボナールの重要作があります。マーク・ロスコのために設けられた小部屋もあります。
  • ナショナル・ギャラリー・オブ・アートは地下鉄で行ける距離です。そちらにも印象派のコレクションがあります。

そして絵の舞台は今も残っています。シャトゥーのメゾン・フルネーズは現在もレストランとして営業しており、併設の博物館があります。パリから郊外電車で行くことができます。絵に描かれたテラスを確認できます。

この絵の前で最後まで残るのは、幸福ではなく終わりです。十数人が別々のことをしながら同じ光のなかにいる、この状態をルノワールは二度とこのようには描きませんでした。その秋イタリアへ発ち、帰ってきたときには別の画家になっていました。

画像: Le Déjeuner des canotiers – ピエール=オーギュスト・ルノワール、1880~81年、フィリップス・コレクション蔵。ライセンス: Public Domain. 出典: Wikimedia Commons.

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